夕暮れの代々木上原

かつて、コーポラティブハウスの工事に携わりたくて、足繁く設計事務所に通っていたのが、一番大きな思い出である。駅前の賑やかな場所から住宅地へと入り込むのだが、その道路が驚く程狭い。なかば職業病となりつつあった「これ、生コン車とかユニックとか、通れるんだろうか」という不安に、終始悩まされた。小型車しか通れないとするとコストも割高になるよ、と技術部に脅され、コーポラティブハウス受注という夢が遠ざかる。それでも受注したいという意気があったのは、それを建設することに、分譲マンションが乱立するところに同じようなものが建っちゃうのとは違って、大きな価値があると本気で思っていたからだ。そんな、社会人になってそんなに経たない頃の自分を思い出させてくれるのが、代々木上原だ。

 

3月になり、徐々に日が長くなってきたとはいえ、この時間になるともう暗い。18時頃、駅前の細い道を、あそこだったか、この道だったか、と迷いながら、当時の記憶を頼りに歩く。たしかこの先に、小さい本屋があったはずだ・・・あぁ、あった。駅こそ新しく生まれ変わって華やかさを増し、その変貌ぶりはメタボリズムを思わせるが、あるべきものは更新せず、そこに有り続けるということが、こうも安心感を与えるものなのか、とほっとする。店内の灯りが、暗くなった空を照らしているように見えた。

 

あの頃の自分に戻してくれる思い出のコーポラティブハウスは、その黒い外壁が薄暗い夜空に馴染み、静かに佇んでた。たまたま中に入ろうとする、おそらく入居者とすれ違う。あの頃はまだ更地で、建物も設計図上にしかなく、その工事費はいくらで、と積算していた。それがこうして人様の生活の役に立っているのかと思うと、胸に来るものがある。結局受注できず、その工事に携われなかった、結局のところ無関係な男がなにを言っているのだ、と思われそうだが、自分にとっては決して無関係ではない。受注を逃した悔しさをバネに仕事を続け、いまはコーポラティブハウスを企画する立場にいるという事実を、ありがたく受け止めたい。

 

駅ナカはきれい。主に北側の商店街は、土曜日の夜前とあって賑やかだ。そして道幅は狭く、迷路のよう。しかし、西原の方へ歩くととたんに静かになり、落ち着いた住宅街を思わせる。子育て環境も充実していると聞く。人気の街だと言われるのも分かる気がする。かつてコーポラティブハウスの受注の逃し、苦い思いをしたこの街で、今度は自分の力でコーポラティブハウスを企画したい。