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人が中心

大学時代に研究室のインターンシップでお世話になったNPOの取り組みが紹介されているということで、まえから気になっていた雑誌を手にとった。夜逃げ住戸の家財の後片付けで、目がチカチカしたあの頃を思い出す。遠く大阪の地で、変わらず活発に活動している彼らは本当にすごい。

 

建築を志すも、デザインが全くできず、挫折した自分の頭の中は、どちらかというとこっち寄りで、こういう事例からまちづくりの何たるかを考えることで、設計ができる他者との差別化を図りたい、と自分なりに思って今日までやってきた。つもりだ。

 

SOTOKOTO(ソトコト) 2016年 03 月号 [雑誌]

SOTOKOTO(ソトコト) 2016年 03 月号 [雑誌]

 

 

古民家を改修して昔ながらの街並みを崩さず維持しながら、そこに新しい価値を与えて人が集まる場所にする。上野桜木の取り組みをはじめ、さまざまな「人が中心」で「人が動かす」まちづくりの事例が紹介されていて、面白い。きっと、あーだこーだ難しいことを考えるより、いろいろ実行しながら試行錯誤を繰り返し、こうやって刺激的な取り組みが生まれるのだと思う。「頭だけでチマチマ考えてないで、少しは実行したらどうだ」と言われているかのようだ。

 

自分にはとうていできない。頭のいい人、アイデア力のある人だけができることなんだ。そう思ってはいけないのだと思う。自分にだって、新しい価値をつくりだすための土壌はある。できないのだとしたら、それは環境のせいではなく、自分のせいだ。なんかやってやりたい、と思わせてくれる。

 

さて、じゃぁ、自分はなにをつくりたいのか。どういう仕組みをつくりたいのか。やっぱり、人が喜んでくれて、楽しんでくれて、「ありがとう」と言ってくれるようなものが良い。ただ住むだけの住まいではなく、そこに住むことに生きがいを感じられるようなしくみを、住まいの中に呼び込みたい。人も呼びたい。何より、ただ自分が作るだけじゃなくて、住まい手が時間をかけて育てていくことで、より楽しくなるような装置をつくりたい。

 

「人が中心」いい言葉だな。行きつけのカフェ、好きな店を選ぶ基準は、人によってまちまちだろうけれど、私にとっての基準は「人」。そこで出会った人、それは店員さんだったりほかのお客さんだったりするのだけれど、そういう人に好印象を持った時にその店が好きになる。ケーキが美味しいだとか、コーヒーのコクが深いだとか、内装が良いだとか、椅子がフカフカで座り心地が良いだとか、店内に流れている音楽がストライクゾーンに入っているだとか、家の近くで立ち寄りやすいだとか、そういう要素は、自分の場合、重要なようで実はそんなに重要でない。だから、人が中心になって、人が面白いことを企てていく住宅。そういうのが、あったらいいな。

 

それは一体なんなのか。具体的に言葉で言えない今が、歯がゆい。仕事終わり、行きつけのパスタ屋で日曜の夜を。雑誌を見ながら、自分がつくりたいことは何なのかを思い描きながら、悶々としている。