自分できちんと判断して

「自分はゆるぎない信念を持っている」という思い込みを言い訳にして、世間の流行に無頓着であることを正当化するのは、やめようと思う。頑固にならず、あくまで自分でこうだと判断して、行動したいと思う。

 

例えば、スマホ。長らくケータイ派で、スマホをいじる姿があまりかっこよく見えないことからスマホだけは持つまい、と思っていた。だけど、近いうちにガラケーが淘汰されてしまって、完全にスマホ社会になるのであれば、スマホに鞍替えする時期がいずれ来るのであれば、何もだだをこねる必要はないんだ。駅のホームとか電車内とかで、にらめっこをしている人があまりに多く、自分だけはそうなりたくないなんて勝手に思っていたけれど、スマホそのものが悪いわけではない。使い方の問題だ。それが必要不可欠であることを認めながら、そのうえで、頻繁にいじらなければいい。スマホスマホらしく使わない自分でありたい。友人から「えっ、いつの間にスマホに変えたの?スマホいじってるとこ見たことないんだけど」と言われたらOK。気づかれなければ完璧。

 

例えば、本。いろいろなジャンルの本をまんべんなく読むのが良い、という言葉はよく聞く。確かに、そうだとも思う。だけど、つまらなくなって途中で投げ出してしまうのだとすると、「これを買って読んで失敗した」という失敗経験は残るものの、やっぱりその本から得られるものは少ない。失敗経験自体が、今後の失敗を防ぐために必要なのはわかるけれど、できることなら失敗したくないというのが本音だ。だから、本屋で手にとって、これ、いいかも、と直感的に感じたものを、その直感に従って選んで読むべきだ。「これを読んでいる人だと他人に思われたい」という気持ちはもちろんあるけれど、それだけだと結局読み進まず、放棄、となることが多いように思う。

 

例えば、筆記具。いまの仕事を振り返ると、ほぼボールペンしか使っていない。シャーペンを、使わなくなってしばらく経つ。一部サインペンや蛍光ペンを使うことはもちろんあるけれど、字を書くツールとしてはボールペン一本で、それも特にこだわりはなく、いまに至る。サラサラと書けるんだから、ボールペン一本で構わないじゃなか、と。そんないま、無性に欲しいと思うのが、万年筆だ。手書きで、手紙などを、きれいな字で、書けるようでありたい。インクで文字の強弱を表現できる万年筆を、うまく使いこなせるようでありたい。狙っているのは、シェーファーのオーソドックスなもの。前職の退職時に職場の仲間から頂いたシェーファーのボールペンを、書き味抜群でいまだに使っているので、その相棒ができたらいいな。大手町の地下鉄構内にあるお気に入りの文具屋に、あるんだよな。あれを買うのが、目下の目標だ。