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逃げ場所

1月25日。日曜日。

 

昼間、仕事。プロジェクトの説明会。来てくださったのは、外国の方で、日本語をしゃべらない。一緒だった奥さんが通訳しながらスタートしたのだが、彼の表情は険しい。「どなたか、(英語を)しゃべれるスタッフの方はいらっしゃいませんか?」と言われ、ドキリとした。すみません、しゃべれません、と、うつむくほかなかった。

 

グローバルな時代、英語はもはや共通語、しゃべれて当然、勉強すべし、というのは分かる。一方で、しゃべれなきゃならないなんてことはない、しゃべれる人に任せれば良い、しゃべるための勉強に時間を費やすくらいなら、他に勉強すべきことはたくさんある、というのも分かる。どちらも間違っていない。そして自分は、後者の意見に従うことで、自分の不勉強を正当化してきた。そのことが、今日ほど悔しいと思ったことはなかった。彼のコミュニケーションに対し、ひきつった微笑み返ししかできなかった自分が、悔やまれる。・・・とか言いながらも、結局勉強できないんだろうな。

 

 

自分の持ち味を発揮するためには、どう考えたらよいのか。自分がすべきこと、自分でないとできないこと、それは、英語で流暢にコミュニケーションをとることなのか・・・かどうかは置いておいて、その答えを自分ひとりで探そうとするのではなく、他人からの助言、指摘に耳を傾けることが大事なのだと、この本を読んで学んだ。「自分はこうあるべきだ」と一直線に進んでいっても、大間違いな道を全力疾走している、という場合もある。自分の判断だけでは、それが大間違いだと気づかない。だからこそ、他人の(えてして嫌な)忠告に耳を塞ぐのではなくて、謙虚に受け取ることが大切なんだ。そして、自分がそうしてもらうために、積極的に他人の持ち味を探して、いかしてあげようと、努めよう。

 

 

駅前の本屋で買って、そのまま隣のパスタ屋に入り、パスタ(と今回はミニピザも!)をほおばり、読む。最近のお決まりのコース。著者風に言うところの「一人になれる時間」。ぼくの「逃げ場所」は、ここか?英語が喋れずコミュニケーションが取れない、という事実から逃げようにも、駅前の雑踏近くにあり過ぎて、全然逃げられていないのだが。