理不尽

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本八幡のダイニングで食事しながら、ボーッといろんなことを考える。大人は何を考えて、どう動くべきなのか、その答えを見つけて真似しようと、大人が書いた大人論に縋る。基本、正しいことを言っていそうな人の言葉は、鵜呑みにする単純男。

 

 

「世の中は白いものを黒いと言う人がいる。それを覚えておきなさい」p110

 

「職場の中に、得意先に、理不尽を絵に描いたような人がいることは、不幸に見えて実は幸いなことだ。『無理なことを言ってきやがったな』『無体なことをさせやがるな』その時はそう感じても、ひとつひとつを乗り越えていけば、笑い話にさえなる。」p112

 

理不尽がまかり通るのが大人の社会だとすると、その理不尽に気づかない人は大人ではない。そして私は、その理不尽に気づいていない、というか、「無茶言いやがる」と思ったことは記憶にあるものの、それが具体的にどんな案件で、どんな状況だったのかが、全く思い出せない。たぶんその時は理不尽に腹を立て、自分は正しいと思い、その理不尽に耐えることで自分を勇気づけていたと思う。だけど、それを理不尽なこととして蓄積していない。よって、乗り越えたことを笑い話にすることができない。これは、失敗情報を蓄積せずに、同様の失敗を再発させることと同じくらい、愚かなことをしでかしてる。

 

 

理不尽なことを、涼しい顔をしながら乗り越える。で、それを笑い飛ばす。そういう余裕を、もちたい。その一方で、「いつも淡々と仕事するよね」と思われるよりは、「いっぱいいっぱいだけど、一生懸命だよね」と思われたい。この矛盾が、私自身の理不尽。

 

続・大人の流儀

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