正義

「よし、やろう!」と思い立った、その意気込みを、天気は賞賛してくれると思っていた。しかし、そこに正義はなかった。

 

午後、ぽっかりと時間ができたので、久しぶりに走ろうと思った。片道5キロの河川敷コースを往復する。かつてはよく練習で走った道だったため、しばらく走っていないことを考慮しても、無理ではないだろうと、考えた。それが、安易だった。

 

10分ほどでバテはじめ、ペースを守ることもままならない。必死に考え事をしながら苦しさを紛らわせるも、身体は言うことを聞かず、ペースは落ちるばかり。歩いたほうが早いんじゃないかと突っ込まれそうなくらいのペースで、やっと折り返し地点にたどり着いた。

 

走り始めて早々見上げた空が、曇っていたことに、気づくべきだった。いや、気づいてはいたが、過信していた。雨は、休日を使って身体を酷使している私をいたわろうともせず、突然、降りだした。

 

スローペースすぎて、汗も乾いてきていた矢先の、この仕打ち。ずぶ濡れでズボンが重くなる。目に入って前が見えにくくなる。そこまでして俺の意気込みを阻止したいのか?そんなんには負けねぇ。と、徒歩同等のペースながらも、絶対に歩かないと心に決めた。

 

途中、「なんでこんなことしてるんだろ。バカバカしい。ここで歩いたって、誰も何も言わないし。無理して、我慢して、嫌になって、今後続けられず3日坊主で終わることのほうが、問題だ」と思う瞬間もあった。それでも歩かなかったのは、効率よりも意地を優先したからだ。この意地っ張りが今後活かされるかどうかは、分からない。いまの筋肉痛という副作用から見ると、失敗だった可能性もある。

 

いや、本当は、こうなるべきだったのかもしれない。フツーに晴れてて気温も高かったら、ただ暑い、汗かいた、シャワー浴びた、気持ちいい、で終わっていたところを、雨という試練を与えてくれたのかもしれない。そして、土砂降りの雨の中を走ったという事実によって、次に同じくらいの苦痛があってもギブアップしない、という自信が得られたのかもしれない。

 

結果オーライとしよう。