厭なことに我慢できない

6月1日。日曜日。

 

夕方、喫茶店に行って本でも読もうと思い立ち、家を出る。本八幡へ向かおうとした途中の西船橋駅にて、総武線運転見合わせの知らせ。やっとの思いで行動に起こしたことが、ことごとく裏目に出るものだと嘆きながら、引き返す。

 

急遽、別の喫茶店に変更するも、常連らしきお客さんのお声が大きく、本どころでなくなり、断念。もともと喫茶店なんて、不特定多数の他者と同じ空間にいるようなものだから、雑音があって当然で、むしろ適度な雑音が緊張感をほぐしてくれるのだけれど、どうも今日はそこまで寛容でいられるほど心に余裕がなかったらしい。本八幡を断念して引き返す電車内で、内田樹さん著「修行論」のあとがきの文章「散歩ということもしません。「ふと海が見たくなって」ドライブするというようなこともないし、見知らぬ街で気になるバーに入って・・・というようなこともしません。」(P236)を読んだときに、気づくべきだった。

 

「厭なことに我慢できない」という点で超人的に弱いとおっしゃる著者が、よほどの用事がない限りは家から出ないようにしているという。外へ出るということは、楽しみももちろんあるけれど、「厭なことに遭遇するリスク」もあるのだということに、気づいた。軽い気持ちで、外へ出るもんじゃない。打合せや急務などのない休日くらい、家でモヤシになってても、誰も何も言わない。

 

修業論 (光文社新書)

修業論 (光文社新書)

 

 

百田尚樹氏の「海賊とよばれた男」を読んでる途中。「永遠の0」があまりにも有名で、その映画は他人に聞く限り涙モノの傑作だそうだけれど、本作は一ビジネスマンとして、参考になるところが多いように思う。価値をつくることが仕事なんだ。そのことに気づかせてくれるから、「いま自分が動いていることは、誰かにとっての価値に本当になるのか」と意識しながら動けるようになる。

 

海賊とよばれた男 上

海賊とよばれた男 上

 

  

海賊とよばれた男 下

海賊とよばれた男 下