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無所属時間

事務所で少し仕事をして、帰宅途中の地下鉄内。始発電車で座席に座れたのをいいことに、目をとじてウトウトしていたら、乗換駅を通過してしまった。思えばこれが始まりだったんだ。

 

普段なら急いで降りて乗換駅まで戻るところだが、今日は日曜日。時間もまだ早かったこともあり、ちょっと寄り道していこうと、そのまましばし寛ぐ。秋葉原でJRに乗り換えて、本八幡へ。かつて現場研修時代、血と汗と涙を流したマンション。その窓から零れる灯りが、「君は少なくとも私の生活を彩る仕事の一部を担ってくれたんですよ」と言ってくれているようでジーンとくる。たぶんこういう「他人の人生を楽しませることの一部を担当した」という実感の蓄積が、継続的な仕事への意欲を持たせてくれるのだろうと思う。本八幡に来るたび、ここが自分の仕事人間としての原点だと気づかされる。

 

駅ナカの本屋で適当に本を見繕い、居心地がよくて料理もうまい喫茶店に篭る。健康雑誌「Tarzan」で太らない食事法を読みながらフムフム、ナルホド、と頷きつつ、ひとりでハンバーグとピザを平らげるあたり、店員からはかなり変人に見えたことだろう。「考えてることとやってることが矛盾してますよ」と怒られそうだ。

 

他人の生き方に興味をもってから、なかば縋るように読んでいるのが伊集院静氏の「大人の流儀」。主張していることを聞くと、なかなか破天荒なお方のように思えるが、母親との会話を聞くと、その言葉のきれいさ、丁寧さに、心が洗われる。これが大人の男か、と思う。毎晩のように銀座で飲み歩き、ホテルで寝泊まりし、起きたらズボンも靴も履いたままだった、床とディープキスをしていた、などという話は、超下戸な自分にはとても考えられない生活だ。それでも、人間は自分の精神力だけで苦難に打ち勝てるほど強くなく、苦難が立ちはだかった時に酒はよき友となる、という考えは、なんとなく分かる気がする。そのよき友を持たない私は、苦難が立ちはだかったときにどうしたらよいのか。まぁ下戸なら下戸ならではの友がいるはずだろう。例えばコーヒーとかラーメンとか。あんまカッコよくないけど。

 

氏の奔放な日常に触れ、自分もそうありたい、氏の言うところの「無所属の時間」というものをもっとつくって楽しみたい、と思い、喫茶店を出て夜の本八幡をブラブラ歩く。タウン雑誌に載ってた親子丼屋に入ろうとして客の多さに諦め、現場研修時代、帰りがけによく行ったラーメン屋を探して見つからず、調べたら閉店してたことを知り(しかも6年くらい前に!)ショックを受け、開拓しようと足を踏み入れたラーメン屋がまた満席で諦め、もう一回と思ってさっきの親子丼屋に行ったら営業終了。さっき食べたピザとハンバーグも消化するくらいグルグル歩き回り、結局さっき満席だったラーメン屋に再度入って味噌ラーメンを食す。これが非建設的な行動のように思えるから、まだまだ無所属時間を楽しむまでには至っていない。

 

そしてさすがに満腹になり、「Tarzan」を読んで健康な食生活をしようという意気込みと実際の行動とのギャップに怖気づき、そそくさと帰って今に至る。事務所からの帰り道、茅場町を寝過ごして遊びモードになってからいままで。時間にして4時間ほど。この間お酒を一滴も飲んでないところが我ながらガキっぽい。大人の男にはまだまだなれそうにない。

 

続・大人の流儀

続・大人の流儀

 

Tarzan (ターザン) 2013年 4/11号 [雑誌]

Tarzan (ターザン) 2013年 4/11号 [雑誌]