設計図

小さい頃はドキドキしたり興奮したりしながら見ていたものでも、いまでは全く違う気持ちで見ている、ということがある。そのひとつが「設計図」だ。

 

中学生のとき、自宅の増築工事があった。それまで弟と共用部屋だった自分にとって、自分専用の勉強部屋ができるというのはまさに夢のようなことで、大はしゃぎしていた記憶がある。なにより、親にちらっと見せてもらった青焼きの図面のなんとカッコいいこと。たぶんあれを見て建築を志すようなったんだろう。中学卒業の頃の将来の夢は「設計士」。高校を卒業したら「CAD製図の専門学校へ行きたい」。よくもまぁぬけぬけとそんな言葉を使ったもんだ。

 

それがいまでは、仕事の一環としてしか図面を見ることができない。見ても(恥ずかしながらいまだに設備図とか読めない部分が多々あり)分からないところがあるという悔しさでなかなか昔のように楽しく見ることができない。いま自分がこの仕事に就いていることを当時の自分が知ったとしたら、きっと涙を流して喜ぶだろうに。

 

それにしても。「設計図」・・・設計図というと私なんかは建築設計を思い浮かべるけれど、なにも建築の世界に限ったものじゃない。世の中の機械にはすべて設計図があるだろう。自己体験を思い出せば、それこそもっと昔、小学生くらいのときに興奮しながら2等身で坊主頭のガンダムをつくった、あのプラモデルの取扱説明書も設計図だ。IKEAでテーブルを買ったら必要最小限しか伝えない寡黙な設計図がついてくるし。

 

もっと広義に、「人生設計」なんて言葉もあるくらいで、人生をどうやって生きようかという計画を記した予定表があるとしたらそれも立派な設計図だ。そう考えると「設計図」とは「目的物の完成や目標の達成に向けた手順・方法を示したもの」。それを描くことを業とする「設計士」。それを目指そうと思いたった中学生の頃の自分のなんと青いこと。

 

ネタがなくて、テキトーなことを書いて終わらせようと思って書きはじめた今日のこの記事も、気づいたらこんな駄文でこんなスペースを埋めてしまう。このブログにも「設計図」が必要かな・・・