雑誌

雑誌を見ると思いが膨らむ。無機質な文字ではなく、写真で視覚的に見るものを訴えてくる。ジャンル問わず、自分の脳にいままでなかった形を見せつけられると、なぜかわからないけれど刺激を受ける。最近はもっぱらインテリア・住宅雑誌がお気に入りだ。

 

大学時代は「建築の勉強の一環」と気を引き締めて建築雑誌を見続けた。設計演習で自分の描く図面は、どうしてもそのときの自分の頭の中にある形しか表現できないもので、自分で描いたそれを見ては、建築雑誌に並ぶ建築との違いに何度も失神しそうになった。読書好きの誰か様が言ってた「本から何かを吸収しよう、本から学ぼう、と思って読む限り、その本から学ぶことはできない」という言葉が、いまになって俄然説得力を増す。大学時代にその言葉にもし出会っていたら、もっとラフな気持ちで、心の底から好きな雑誌を見て、実際に見たい建築を見に行ったのかもしれない。

 

ふと周囲、つまりいまこの駄文を書いている自室を見渡すと、自分はシンプルな部屋を意識していることが分かる。クローゼットにしまえるものはとにかくしまう。目に見えるのは机と本棚とテーブルとベッドのみ。ただでさえ小さい部屋だ。モノの体積をできる限り減らして、空間の体積をできる限り増やしたい。

 

そう考えると、だんだん蔵書が増えていって理想に近づきつつあるこの本棚も、思い切って削ぎ落としてすべて電子書籍化する、20センチ角程度の板にすべてを記憶させ、それを机に置いておくだけ、そんな部屋もアリかもしれない。いまはまだ画面で読書を楽しめる気がしないが、そのうち気が変わる可能性は大いにある。なんせ私は優柔不断、芯がなくて表明もコロコロ変わる。その証拠に、去年まであんなに否定して、「なんとしてもオレは持たん!」と頑なに所持することを拒否していたスマホについても、周囲の会話についていくため、最新の技術によるサービスを受けるためにはそれを持つのが一番手っ取り早いと思うに至り、若干欲しくなりつつある。決めるのが遅いんだよな・・・

 

雑誌を見ると趣味の幅が広がる。新しい発見が、「ちょっとやってみようかな」という好奇心を呼び、それが新しいマイブームをつくる。「雑誌には徳の高い文章はなく、見るだけ無駄だ」最近までそういう偏見を持っていたが、いまの自分にそう言える雑誌はジャンプとかヤンマガとかそういう漫画週刊誌くらいだ。なにより写真を見るだけでも十分目の保養になる。「この映像を自分の脳に焼き付けた」という事実が、今後の自分に新しい図面を描かせてくれそう。な気がする。