トヨタ方式

忘年会シーズン。楽しむのはいいけれど、ここぞとばかりに大量にお酒を摂取するのも考えもの。私みたいに普段一滴も飲まない人間には、この時期は楽しさに憂鬱がつきまとう。そろそろ、そんな憂鬱ともおさらばしたいと思うのだが、いまだにアルコールは仲良くしてくれない。私がただ仲良くしてないだけか。別に喧嘩したいわけじゃないのよ。必要なときに必要なぶんだけ。そんなトヨタ方式のような付き合いが理想です。

 

事務所のスタッフに勧められてパラパラ見たおしゃれな雑誌。その最後に、連載らしきエッセイがあった。内容は忘れたが、読みやすい語り口だったのを覚えている。書き手の世界にすっと入っていくような感覚。文章の書き方による影響なのか、その内容の平易さの賜物なのか、よくわからないけれど、こういうエッセイは読んでいて快適。その快感を得るのが心地いいから、本好きの人は多いのだろう。フワフワしつつも言いたいことをバシっと言う、そんなエッセイのようなブログを私も書きたい。

 

ブログを書くことが職業になる世の中。私より若い人がフリーランスでブログ書いて稼いじゃう世の中。そんな若いブロガーの著書を読んで、自分の職業観、仕事観がいかに偏っていたかを思い知らされた。

 

年収150万円で僕らは自由に生きていく (星海社新書)

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広告収益や閲覧数は、記事の更新頻度に比例するという。確かにそうかもしれないが、だからといって私はたくさんの記事を書こうという気にはなれない。第一に私は広告収益や閲覧数のUPを目指してない。第二にブログのコンセプトの手前、休日限定更新を貫きたい。第三に、たくさん記事を書く事を意識すると、1記事あたりの単価というか、書くことひとつひとつの価値が下がってしまいそうな気がする。書く訓練にはなる。でも書いたことがすぐ消えちゃうような、ポッと出たことをそのまま書いちゃうようなことはあまりしたくないかな。

 

情報発信のハードルが低くなったことは、情報発信したくて仕方ない人にとってはいいこと。ただ読み手にとっては、いい文章に出会うために取捨選択する必要に迫られそうな気がする。それでも私は、単純にいい文章に出会える確率が高くなると思って喜んでいいと思う。無駄を気にせず読み捨てるような感覚をもてば、かなりの頻度でいい文章に出会える。必要なときに必要な文章を。読むにあたってはトヨタ方式は採用しない。