カラスの親指

カラスの親指 by rule of CROW’s thumb (講談社文庫)

カラスの親指 by rule of CROW’s thumb (講談社文庫)

 

ヒトは「疑う」ということがじつは不得意なのではないか。そう思うことがある。オレオレ詐欺が一時期横行していたという事実も、そのことを示しているような気がする。もしそうだとすると、ヒトの不得手な部分につけこむ詐欺師もなかなかすごい。

 

「もしかしたらこうなのではないか」と、話の途中でオチが予測できることがある。まだ結論が出ないうちから、「きっとこうだろう」と勝手に仮説をつくる。最初、それはあくまでひとつの仮説にすぎないんだけど、話が進むにつれて徐々に確信に変わっていく。各所に散りばめられものが、その仮説を裏付けるための伏線になっていると信じてしまう。こうなったらもう思考停止。その仮説にあるほんのちょっとの綻びにも気づかない。作者に勝ったような気がして、もう疑うことなどできない。

 

そうして猛スピードで走る話に乗っかっていくと、まるで頂上から急降下する富士急のFUJIYAMAのように、静止していたその2秒後には時速172キロで突っ走っているドドンパのように、話の展開も急降下する。「なにそれ~」予想を超えられたことに落胆したのもつかの間、さらにどんでん返しが来て、もう頭の中はしっちゃかめっちゃか。結局、予想を超えられたことは快感につながるのだけれど、自分が立てた仮説をあっけなく覆された悔しさはずっとココロに残る。作者が必死につくったマジックを見破ったという優越感は粉々に崩れ落ちる。むしろ、その仮説を立てるところまでもが作者の思う壺だったのではないか、そう思うと悔しくてならない。

 

道尾秀介氏の「カラスの親指」を一気に読んで、そんな悔しさを味わった。疑うのが苦手な私はこうしていつも作者に騙される。「なに~っ!!さいしょからじゃぁ~ん!!!」と一気に体中の力が抜けるような感覚。でもこれはなかなか味わえません。