今日も電車で笑いをこらえ

大好きなエッセイを2冊まとめて買った。

 

 

論より譲歩 (文春文庫)

論より譲歩 (文春文庫)

 

お茶大の名誉教授にして哲学者。それだけ聞くとすごい気難しい人を想像するが、なんてことはない、きっと初見で会話が弾むのではないかと思ってしまうくらいユーモラスなお方。何度か紹介しましたが、このツチヤ氏のエッセイがとにかく面白い。

 

「電車の中などで読んで笑ってしまい、周囲から白い目で見られる存在になってしまった」と解説で森山直太朗氏も言ってるくらい、とにかく笑うのを我慢するのが難しい。なにも難しいことを言ってるわけでもなく、かつ誰もが体験できるわけではない特別な経験についての考察を述べている訳でもないのに、この深くひねくれた洞察はなんなんだろう。なにげない日常生活に潜む出来事についてこれだけ多数の起こりうる可能性を示すエッセイも珍しいのではないか(ツチヤ氏以外のエッセイをほとんど読まないので比較はできませんが)。

 

いま「論より譲歩」を読んでる最中。でも、ふと気が向いた時に、「論より譲歩」を読み終わらないうちに「教授の異常な弁解」を読んでみるのもいい。どちらも週刊文春の連載をまとめたものなので、関連性もなければ、順序もない。どちらかを読んでいることでもう一方がより面白くなる、といったような、伊坂幸太郎氏の小説のようなマジックも(きっと)ない。だからとにかく気軽に読めるし、とにかくわたしにとっての読書の敷居を低くしてくれるエッセイだ。

 

今日も電車内で読んで吹き出してしまった。きっと森山直太朗がみてたら、「あ、ツチヤ教授のエッセイを読んでるな」と気付かれたに違いない。なにより、文庫本にカバーをかけるなんてしゃれたことをしないわたしは堂々と表紙を周囲に見せびらかしているので、気付かれてもおかしくないし、気付かれても恥ずかしくもなんともない。

 

(抜粋。論より譲歩「不安を解消する方法」より)

「『ガンだったらどうしよう』と言うが、ガンだと分かったらどうせ治療するのだから『どうしよう』と迷う余地はない。動転はするだろうが、いくら動転しても、治療するのに決まっているのだから、迷ったり心配したりすることは何もない」

 

・・・ツチヤ師も、さりげなくヒジョーにいいことを言う。