「無知の知」再考

i Phone 5 が満を持して発売され、もはや日本はタブレット王国にまでなってしまったのではないかと思うくらい、世間にはスマホが蔓延している、気がする。これもひとつの時代の流れだから仕方ないことだろうし、きっとそのうち自分もそのうちの一人になるであろうから、文句も言えないのだろうけれど、2012年9月末現在、どうしても私はスマホを好きになれない。少なくともいまのケータイを放り投げてi Phoneを買おうとか、そういう気に全くなれない。なんて時代遅れなんだろう。昨日、失礼ながらローテク派だと勝手に思っていた、仕事でお世話になっている工務店の監督が、i Phone5を買ったと知り、完全に取り残されたような感覚に陥った。

 

別にスマホそのものに非はない。電子書籍もすごい革命だと思う。できることなら自分もkoboかReaderを持ち歩いて、外出先でふと思い出した本をサッと取り出す、ということをしてみたい。そうしたらいまの自宅の40cm×150cm×80cm=0.48㎥の空間がそのまま持ち歩けるようなもんだ。その空間がもはやいらないという結論になるかもしれない。でも、憧れだけが先行して、もっと現実を直視して、自分がタブレットをヒョヒョヒョヒョやってる姿を想像すると、なぜかイライラしてくる。だからしばらく電子書籍も買えないだろう。紙で充分。もう少し紙の本を味わいたい。風呂場でシナシナになるくらい読んだ経験も、誤って浴槽に落としてフヤフヤにした経験も、本屋で立ち読みしながら適当な本を見繕う時間も、気に入った文に下線部引いたりドッグイヤーをつけたりする経験も、もうちょっと味わいたいかな。

 

いつまで世間がガラパゴスケータイで過ごすことを許してくれるだろう。まだ大丈夫な気がする。事務所の所長には「なんだそのコガネムシみたいな色のケータイは」と笑いながら馬鹿にされたけど(スミマセン、色が気に入ってこれにしたんすけど・・・)。電車内をみると9割型スマホだけど。まだ生きられそう。こないだ、仕事の帰りに乗った日比谷線が3人掛けシートで、自分の両脇に座ってるサラリーマンがスマホをいじってた。それだけでも自分にとっては地獄なのに、左側の方がタブレットをいじるその右腕が動いて私の左腕を小刻みに突いてくる。変な電子音までまき散らして。さすがにそのときは「絶対スマホにはしない」って誓った。前傾姿勢で肘を膝につけながら本を読んでたけど、混雑してきて前に人が立つようになり、そうすることもできず、もう目を閉じてじっと降りるのを待つしかなかった。

 

前職で知り合った人が確か言ってた。「私、すごい汗かきなんすよ。だからスマホだと画面がぬれちゃっていじれないんすよね。だからスマホだめなんすよ」これはイイ、と思った。人よりちょっと過剰な生理現象によって使用できないケータイなんて、なんて非バリアフリーなんだ!堂々と言えばいいと思って、こないだ「ぼくは指太いからたぶんタブレットいじれないんじゃないかな。いっぺんに複数のボタンを押しちゃって」て言ってみた。自分としては「どーだ!」くらいの気持ちだったけど、よくよく考えると、そんだけ指が太かったらガラパゴスケータイもいじれないんじゃないか??ダメじゃん、この言い訳。

 

結論。タブレットは確かにすごい。いま仕事はそれなしには進まない。でも、それなしには進まないほど仕事がタブレット中毒になっていることにすら気付かないのは危険だと思う。どうせタブレットを扱うときが来るのであれば、自分はタブレット中毒者であることを認めたうえで扱える人間になりたい。自分が無知であることを知る人が一番賢いと言ったソクラテスのように。