残業するということ

9月15日。土曜日。

 

お盆休みが終わって間もないが、ここへきてまた3連休。人から、「いったいどれだけ休んでるんだよ」と言われても仕方ないくらい、実は休んでいるものなのかもしれない。自分ではそういう実感はないが、実際には5日はたらいたら2日の休日がきて、たまにボーナスポイントのように祝日がくる。「日本人ははたらきすぎ」とよく外国と比較して言われるように思うけど、もしかしたら休みすぎなんじゃないか?

 

残業代というものがなかった前職から、制限付きではあるが残業代ありの現職に変わり、「定時を超えてはたらく」ということに対しての考え方が変わった。「残業する」ということを意識するようになった。前職では、そもそも残業という概念がなかったので、何時まで会社にいようが給料は一緒。その環境に慣れて、午前10時も午後4時も夜11時も同じ感覚で仕事をしていた。今日中に終らせなきゃならない資料ができなければ夜までつくる。今日中に作らなきゃならない資料が夕方の時点でできてなくても、終電までにできれば大丈夫と安心して、夜までの時間をすべて使い果たすペース配分をしていた。そんな考えで質の高い仕事ができるわけがない。

 

いまは、19時を過ぎると、「残業ゾーンに突入した」と強く意識する。残業することに少し罪悪感を感じるようになった。帰ってもだれも文句言わないし、むしろいることで無駄な残業代が発生するくらいなら、帰った方が会社にとってもいいのでは、という気持ちの方が強い。これはいい変化だ。罪悪感を感じるということは、自分が残業代を受けとるに値する成果を出していないのではという気持ちの表れのようで嫌だが。自分が仕事に時間を費やすことでより多くの給料がもらえるという事実が、ぼくの19時以降の気を引き締めてくれる。昼間の時点で、遅くまでやること前提で進めるのではなく、「定時までに終わらせるにはどうやろう」と考えるようになったことも大きい。

 

それでも、矛盾するようだが、1か月の給料の収支計画を立てるときには、残業代満額をがっぽり含めた給料をもらえる前提で収入を考慮している。それってダメじゃん。残業なしでもやりくりできる計画を立てようぜ。

 

けっきょく何が言いたいのかと言うと・・・1日8時間、週40時間の定時労働で得る収入で十分、身を粉にして残業代稼ごうとして体を壊しては本末転倒、という意見もあるけど、ぼくはべつにサービス残業で仕事中毒的なはたらき方でもいいと思う。体を壊しちゃうくらいだと危険だけど、仕事が充実していて、自分なりに考えながら仕事した結果定時をいつもオーバー、というのならいい。友達に「彼女できた?」と聞かれたときに「いまのおれの彼女は仕事」と堂々と言えたらカッコいいなとホンキで思う。でも、「これ以上はいくら残業しても給料が変わらない」のに残業していてなんにも感じない、というのも危険なのかなと思う。それってすごい悪い言い方すると自分の時間を超安売りしてるってことでしょ。だから「これ以上はいくら残業しても給料が変わらない」ところまできたときに、それ以上の残業を強制的にしないようにする(そのためにはそうならないように普段の仕事の密度をあげることが必要だけど)、じぶんはタダ働きしませんよ、と言って帰っちゃうくらいの貪欲さが必要なのかもしれない。いままでの自分にはその貪欲さが欠片もなかったから。