モダンタイムス

伊坂幸太郎著「モダンタイムス」が面白い。

 

モダンタイムス(上) (講談社文庫)

モダンタイムス(上) (講談社文庫)

 

モダンタイムス(下) (講談社文庫)

モダンタイムス(下) (講談社文庫)

 

「検索から監視が始まる」この言葉に、ぎょっとする人も多いのではないか。いまや、分からないことにぶち当たった時に誰もがする行為「検索」。「ググる」とかそんな造語もでてくるくらい、検索することは誰にとっても当たり前のことになっている。その行為によって登場人物に危害が加わり、その見えない敵を探そうとするシステムエンジニアの渡辺。ことの発端は訳の分からないクライアントからのシステム解析の依頼だった。そのシステムに隠されていた暗号から、それをキーワードとして検索すると何らかの不幸が襲いかかる、というものだった。

 

文庫本で購入、現在下巻を読んでる途中。相変わらずすらすら読める読みやすさがいい。会話の端々にユーモアがあって、電車内でもついクスリとしてしまう。そんな言葉のセンスのよさが著者の魅力だと思う。

 

ところどころで会話中にさしこまれるたとえ話も魅力的。昔、小学校の頃、女の子を泣かしたりスカートをめくったりした罪を着せられ、非難を浴びた少年が、無実を訴えても認めてもらえず、自棄になって本当にその女の子を泣かしたりスカートをめくったりしてしまう。「やってないと言っても分かってもらえないなら、いっそやってしまった方がましだ」そんな自暴自棄な言葉も、当人にしかわからない感情かもしれない。新聞紙を25回折り曲げたら富士山くらいの高さになる。だからそれと同じで、ほんのささいなことでも積み重なれば大きい。「1週間以内に抜き打ちテストをやるぞ」と先生が言った場合、抜き打ちテストは永遠にできない、などなど。

 

それにしても、三者会談にでてくる機械化の話は興味深い。人々がただ目の前の仕事にだけ注力すればいいだけになって、仕事の全体を見渡すことがなくなるとどうなるか・・・想像力と知覚が奪われる。それが、依頼を受けて人に危害を与えることを仕事とする人間に罪悪感がないことと重なり、怖さを覚える。機械化の弊害はすでに来ているのかもしれない。

 

ある一部分に精通したスペシャリストであるべきか、それとも一連のプロセスすべてに関与するゼネラリストであるべきか、それはどっちが正しいという確たる答えがなさそうな選択だと思う。ぼくの仕事についても、コーポラティブハウスができるまでのコーディネート全体を見るのであれば、全体的にかかわった方がいい。入居者にとっても、担当者が都度かわるより、そのほうがよほどいい。しかし、コーディネーターのやることはけっこういろんな分野があるため、お客さんにホントに質の高いサービスを提供することを考えたら、その中で業務を細分化して役割分担を決めて、専門性を発揮させた方がいい、というのも一理ある。非常に悩ましい問いだ。

 

こういう「目に見えない何か」が敵で、その正体がなんなのか、を暴いていく中で社会に潜む危険に気付く。そういったところに「モダンタイムス」の良さがあると思う。産業革命による機械化が人間を翻弄する・・・それは実は今のIT社会にも言えるのかもしれない。誰かが言ってた、「パソコン(ネット)とはある程度距離を置いて付き合いたい」なんて笑い話も、あながち笑い話ではなく、ネット依存気味の社会への警鐘かも、なんて思ってしまった。