節目の日に当たり

2011年9月11日。


今日は二つの大きな出来事の節目の日。


①2001年9月11日のアメリカ同時多発テロからちょうど10年。
②今年3月11日の東日本大震災からちょうど半年。


かたや人的災害、かたや自然災害、起こった経緯は180度違えど、人々に大きな衝撃を与えたという点では、どちらも甲乙つけがたい。節目だから特別何を思うというわけではないけれども、大きな衝撃を与えた二つの出来事が起きた節目の日にあたり、いろいろ思い出しながら家でボーっとしている。


(あっ多少外にも出ましたよ。買い物もしたし、休日ドライブを満喫しました。)



①2001/09/11
10年前。高校3年生。大学受験に向けて勉強に必死だった頃と記憶している。たぶんあの頃が今までで一番勉強していただろう。当時、新山千春が大好きだったぼくは「ジャングルTVタモリの法則」を録画して、翌朝早起きして録画したものを観る、というのを毎週の日課にしていた。(いま思い出すとホントに懐かしい・・・)9月12日。朝、いつものように録画したものを観ていると、タモリさん他パネラーが手作りピザを作っているほんとに真っ最中、突然ニュースキャスターの筑紫哲也が顔を出す。そして流れる、ビルに飛行機が突っ込む映像。まるでプラモデルが壊れるかのようにいとも簡単に崩れる(というか溶ける、と言った方が近いか)映像を観て、不謹慎にも「見られない残りのジャングルTVを返せ」と思っちゃったことを後悔する。それくらい衝撃映像だったし、実際に海の向こうで起きている出来事だと想像したら背筋が凍った。
あれから10年経ち、主犯格とされていたビンラディンはアメリカによって殺害された。オバマ大統領がしきりに言っていた「正義」という言葉。これがアメリカの言う「正義」なのか?「正義」って、攻撃を仕掛けてきた相手に報復をすることを言うのか?と、もともとない頭を精一杯振り絞って考えても疑問を感じずにはいられない。どんなにドロドロした歴史的背景があるとはいえ、「正義」と言えばどんな行動も正当化できるような気がして顔が歪んでしまう。海の向こうで起きている現実を、もっと真剣に考える必要がある。そうじゃないと、ただ「カッコいいから」とか「ロックだから」とか「自由だから」とか、そういう理由だけで「アメリカ大好き!」とか言っちゃう軽率な人間になってしまいそうだ。


②2011/03/11
半年前。この日のことは当時雑記で書いた。松戸駅前で大の大人がオロオロしながら、自分の身を守ろうとするだけでも必死なのに、数メートル前で叫びながらうずくまる女性を見て、大げさでなく腰が抜けるような思いをした。ビルの外壁タイルが目の前でバリバリッと零れ落ちる様子が、まるでyoutubeで何度も見たお気に入り映像のように頭から離れない。
半年が経つが、その爪痕は解消されていない。原発の不安はいまだに残るし、現時点でも自宅に帰れない被災地の避難者は8万人を超えるという。会社のある幕張なんか、最近まで舗装工事やってたからね。
さらに私たちの不安を煽ったのが節電。電力不足を乗り切るために国民一丸となって取り組もう、という気持ちは分かるんだけど。2台のうち1台は完全に停止し、到着までやたら待たされる区役所のエレベーターにイライラしている自分を客観的に見て、いかに今まで電力を使うインフラに頼っていたかを思い知らされる。4〜5分おきに来るはずの地下鉄の本数が少なくなっただけで不快感を感じる自分は、15分おきがあたりまえの東武東上線沿線で生活していた学生時代とは明らかに変わってしまった。
日本のインフラが災害に対して弱いということをもっと実感すべきだ。もし今度、それこそ首都直下型地震が東京を襲ったら、大手町界隈はビジネスマンであふれ、帰宅はほぼ不可能になるという。それはそれで仕方のないことだから、災害に強いインフラを作るべきだというわけでなく、災害に翻弄されない動き方を考えたい。
ただひとつ「あっ」と気付いたことは、どんなに大きな震災だったとはいえ、被災地から少し離れた我々のいる関東では少なくとも、震災後も日常生活に大きな支障はないということ。食料品も最初の数週間を除いて継続的に供給されてるし、電車だって本数は限られているとはいえ走っている。ぼくの勤める建設会社も、一時製品工場がやられて合板や電線が調達できないなどの危機はあったけど、いまはだいぶ回復して工事もストップするほどではない。液状化の影響をもろに受けてニュースになった東京ディズニーランドだって、営業再開している。
ニュースでは「未曽有の大災害」だとか大々的に言われている一方で、自分の周りにはそれほど被害がないという状況。少なくとも被災地を生で観てないぼくなどは、実際被災地の人々がどういう気持ちで過ごしているのかを知らない。だから想像力を今まで以上にフル活用しないと、経済産業大臣みたいに、いまどき小学生でも言わないようなおかしな発言をしてしまうんだ。
震災を機に、「俺らにできることをやろう」と再結成を決意したロックバンドがいる。マスコミに取り上げられずにこっそりとがれきの撤去作業をしに現地に行く有名人がいる。収益をすべて被災地への義援金とする10年ぶりの新曲を出した男たちもいる。そういう「自分たちにできる形で、被災地に元気を」という人がたくさんいるのを知って、一方でそういう気持ちにならないくらい、事の重大さを実感できない自分が少し嫌になる。せいぜいやったことといえば、会社としてすこし義援金を出したことと、ルナシーの10年ぶりの新曲を買ったことくらいか。
これから、少しづつ時間をかけながら、(新聞の言葉を借りれば)「もとに戻すだけの「復旧」ではなく、成長のための「復興」にどうつなげるか。」東日本大震災を教訓に、それを考えることが、次に来る大災害の被害を最小限に抑えると思う。