ブックカフェ槐多

6月12日。日曜日。


久しぶりの喫茶店巡りカテゴリ。


昼過ぎに家を出て、刺激を求めてまずは代官山へ。


はじめて降りた代官山駅。


降りて目の前に広がる景色は、まさに今までイメージしていたそれと全く変わらなかった。


おしゃれなショップやカフェが立ち並ぶ。


「ここだけ外国か?」と疑うくらい英語が並ぶ街。


一般道なのか敷地内通路なのか、その境界線があいまいな「sarugaku」を通る。


こんなオープンテラスでコーヒーをのむ・・・なかなか粋じゃないか。


雑誌をみて行こうと思っていた喫茶店がなくなっていて、違う名前の喫茶店になっていた。


もしかしたらオーナーは変わってないのかもしれないけど、その瞬間になんだか入る気が失せてしまい、しばし代官山をぶらぶらした後、流れに身を任せて明大前へ。


手元のカフェ雑誌がそう指し示してくれた。


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気分は明大生。


明大生のためにあるような駅を離れ、目指す喫茶店へ。


すぐにたどり着いた「キッドアイラックアートホール」


ギャラリーや小劇場があるというビルの地下にその喫茶店はあった。


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室内はおよそ10坪ほどか。


へたしたら明大生でいっぱいか?なんて気にしながら恐る恐る入ったら、重厚な扉の奥は誰もいない席。


まるで久しぶりの客人かのようにぼくを見る店員。


目の前には、天井まで伸びる本棚と、その中にぎっしり詰まった本。


店名にもなっている「槐多」とは、作家・画家の「村山槐多」のことだそうで、彼の詩集・画集を中心に、小難しそうで、かつ希少性が高そうな本が所狭しと並んでいた。


ブレンドとケーキのセットを注文し、その「槐多」の画集を初めて見る。


そのへんには疎い自分にはその絵の良さはよくわからなかったけど、かなり特徴的な絵を描く。


そんな彼は22歳という若さでこの世を去ったそうで、その詩集には「遺書」も記されていた。


「ガキのくせに達観してんなぁ・・・」なんて当時の自分と比較して落ち込みながら、飲むコーヒーがうまい。


10坪の空間に店員と二人きり。そんな重い空気が妙に心地いい。


こういう文学的なことが妙に好きな大学時代の学科フレンドを思い出しながら、ここでしか読めないであろう本を背伸びして読んでみる。


本多勝一「殺される側の論理」


ぎょっとするタイトルに心奪われ、かつてのぼくじゃ決して手に取ることもしなかっただろう分厚い本をパラパラめくる。


ここは学生の街だ。


学生の街のブックカフェに来た社会人らしく、ちょっとくらい背伸びして小難しい本を読んでみたって罰はあたらない。


なんてったって、この店員にほっとかれてる感じがいい。


誰もいない店内から急に姿を消す店員。


10坪の空間にはぼく一人。


このまま食い逃げしようかな、という誘惑に駆られる。


店員さん、ぼくはまだあなたとほとんどしゃべってもいないんだから、ぼくが食い逃げするような男だったらどうすんの?


休日の真昼間に来て他にほとんど客がいないこの店で、いま800円のセットを注文したぼくが食い逃げしたら、それこそ経営成り立たなくね?


・・・と独り言をいいつつも、重厚感あふれる空気がぼくの腰をあげてくれない。


仕方ない、食い逃げするような悪い奴じゃないと思ってくれた店員さんの心優しさに免じて、もうちょっと居てあげよう。


誰もいない空白の7〜8分。


そんなくだらないことを考えながら、しかし濃密な時間を過ごしました。


あの最高に楽しかった大学時代。


あのころにもし戻れたら、行きつけの喫茶店に入り浸って、何やら創造的なことに頭を悩ませるフリをしたい。


明大前のどこに明治大学があるのかは無知。


ホントに明治大学があるのかも無知。


それでも束の間、明大生にはこんなステキな秘密基地があっていいなぁ、なんて思いながら明大生になったつもりでおいしいコーヒーを飲んだ。