タイムマシーンにのって

技術の進歩はめざましい。もはや、インターネットを使えない人はいないだろうし、例えば電車内を見渡せば、10人中9人がケータイをいじっている。そんなゾッとするような光景をみるたび、あまのじゃくなぼくは、手にもっていたケータイをポケットにしまう。そうすることで、ぼくはまわりのみんなとは違うんだ、と一人勝手に思いたがっている。そうしてねむい目をこすりながら本を読もうとするも、頭にはあまりはいってないのだから、結局はその他大勢とさほどかわらないのだが。


ドラえもん」にでてくるようなタイムマシーンについても、実現はそう遠くないのかな、と思ってしまう。時空を行き来するなんてどう考えても無理そうだが、「時空を行き来することはできない」という定理もまたなさそうで、もしかしたら、という期待を抱いてしまう。


先日、電車内でのぼくの眠気でさえもかき消してくれるであろう、嬉しいニュースが飛び込んできた。「LUNA SEA REBOOT」彼ららしい象徴的な単語に込められた意味は、どうひねくれて考えても「再結成」という結論としかとらえられないだろう。「REBOOT=再起動」。「終幕」同様、彼らは彼らしか使わない間接的な言葉でファンにメッセージを送る。そんなキザな彼らがカッコいい。


そして今週、香港での記者会見で、正式に再起動を発表するのだろう。今回の一件で、ぼくの脳は完全に青春時代にタイムスリップし、当時のアツい思い出がよみがえってくる。ぼくの脳だけタイムマシーンにのって、ぼくのいままでの人生の中でおそらく全盛期であったであろう青春時代に戻ったようだ。


そんなこともあり、ぼくと音楽との関わりについて思い出すきっかけがあったので、振り返ってみた。


ぼくが生まれて初めて自分で買ったCDはGLAYの「HOWEVER」。紅白歌合戦で聴いてカッコいいと思い、買って何回も聴いた。そしてその後、GLAYが出した新曲「誘惑」「SOUL LOVE」を演奏したミュージックステーションで、たまたま出演していたルナシーが「STORM」を演奏、それを観てノックアウトされた。GLAYがぼくの脳から消えた瞬間だった。


それからというもの、「ぼくにとっての音楽=ルナシー」という方程式が完成し、活動再開前も含め、たくさんの曲を聴くようになった。彼らの曲を聴いて、覚えて、聴きながら歌詞カードを見ずにいっしょに口ずさむ事が快感になっていった。今でも、カーステレオで「Sweetest Coma Again」を聴くとリフにあわせて体を揺らし、あやうく事故起こしそうになるし、「BREATHE」の癒し系のアルペジオを聴くと体がトローっとしてきてやはり事故起こしそうになる。そんな全身に響き渡る音楽をぼくに教えてくれたのが彼らだった。


しかし、そんな幸せがそんなに長く続くはずもなく、結局好きになって2年半(しかもその間に半年近い潜伏期間があったため、実質2年くらい)で彼らは「終幕」し、新しい命を生み出すことを放棄してしまった。最後のシングル「LOVE SONG」を、まさかそんな悲しい知らせを聞いてから聴くとは思いもしなかったため、こんな壮大でステキな曲がまるで最後の晩餐のようで、落ち着いて味わうことができなかったのを覚えている。



最後だからと勇気を出して東京ドームでのライブチケットを購入し、最初で最後のライブ参戦、アンコールの「MOTHER」の宇宙音でホントにひざが抜ける思いをしたあの日から、もうすぐ10年になる。月日が経つのは本当に早い。



「終幕」以降も、彼らを忘れたことは一日もないと誓う。彼らのそれぞれのソロ活動を見守り、それでも、過去の彼らの曲を聴くことで記憶を風化させないできた。大学時代、ギターアンサンブルでクラシック曲をメインで演奏するも、仲間に彼らの魅力を最大限に訴え、味方を探し続けた。文化祭のお遊びバンド演奏もやった。あの時はホントに楽しかった。


月日が経つにつれて、「再結成」という可能性をだんだん諦めてきていたのは事実だ。今でも、再結成の知らせに喜びつつも、実感はあまりない。それよりも、再結成してまた何年かして、活動をしなくなったとき、また「再終幕」するのだろうかとか、そんなよこしまなことばかり考えてしまう。


でも、それでもいい。たとえ再結成しての活動がまたすぐに「再終幕」という方向へたどり着くにしても、いま彼らが出した結論を心から受け止め、彼らを心から歓迎することが、いまのぼくの仕事だ。10年前、ラストシングルということを知ってしまったがために、ぼくにとって悲劇の曲となってしまった「LOVE SONG」以降、彼らが放棄した「新しい命を生み出すこと」を再開してくれる。その事実があるだけでも、「今までの我慢が報われた」と思わせてくれる。


記者会見、楽しみにしています。