毎週必ず走る

運動不足が身に染みる。これではよくないと思い、年明けのこの節目に、ジョギングを再開しようと思った。ゆるくでもいいから、ちゃんと続けようと。

 

まぐれで当選し、東京マラソンを走ったのが9年前。それ以来、エントリーしてもことごとく落選するものだから、本番があるという最大のモチベーションがなくなった気がして、走る習慣を失った。たまに走ったとしても、気が向いた程度。だから、ちょっとしか走っていないのに苦しくなり、楽しくなくなる。訓練して力をつけるには時間がかかるのに、衰えるのは一瞬。だから、少しづつでも続けることが大事なんだと身をもって感じた。

 

実家の近所を少し走る。小さいころ、毎日歩いていた道。遊びまわっていた道。実はよく知らない家。懐かしさと、新しい発見による新鮮さが、身体が浄化されていくような感覚とあわさって、独特の心地よさが生まれた。

 

だからこそ、すぐ息が切れて胸が痛くなり、足がとまってしまったことが悔しくて、続けなきゃだめだと思った。

 

目標は、毎週必ず。無理せず、続ける。ハイを味わう。そうやって走っている時間に頭に描いていることが、自分の仕事を進めるための潤滑剤になったら、良い。

 

2019

2019年。元日。

 

実家でウルトラマンDASHを観ながら。これから相棒の元日スペシャル。これを観て元日を過ごすことが恒例になっている。

 

ウルトラマンDASHでは、水球女子が重さ30キロのサッカーゴールを立ち泳ぎのまま運び、10種競技の選手が一人で持ち上げて走る。サッカーのドリブル、パス、ヘディングで走るバスの窓の中にボールを入れる。番組の企画とはいえ、一人ひとりが力を出して目的を達成させるために踏ん張る姿に、しびれた。

 

 

今年は、「知らなくてもまぁいいか」「できなくてもまぁいいか」という考えを少しでもなくすようにしたい。知らなくてもやっていける。なんとかなる。だけど、ちょっと調べてみよう、できるためにはどうしたらいいだろう、と考えるだけで、ちょっと成長する。それがなければ、ずっとこれまでのままだ。日常のちょっとした「まぁいいか」という妥協を、なるべくなくそうと思う。

 

上機嫌な年に

大晦日を、ゆっくりと過ごしている。毎年、こんなにボケっとしていていいのか、いやいやダメだろう、と罪悪感を感じるような過ごし方だ。久しぶりに親戚と会って楽しく話をするくらいで、あとは普段ほとんど観ないテレビを楽しむだけだ。格付けチェックの再放送を見て、GACKTとYOSHIKIの安定感に舌を巻く。それでも、すごいなぁ、よく分かるなぁ、自分とは住む世界が違うんだなぁ、と投げやりになるんじゃぁなくて、彼らが食に対しても芸術に対しても真剣に向き合っている結果なのだということをまず認めて、自分もそうやって真剣に、一歩踏み込んで一流のもの(と言われているもの)と対峙する姿勢が必要なのだろうと思った。

 

今年は特に、これをなしとげた、という大きな達成感を得たうえで年を越す感じではなかった。いつものようにあっという間に、なんとなく年の瀬が来てしまった、という感覚に近い。だけど、仕事ではプロジェクトが進み、また好きな手作り市をめぐっても良い縁がたくさんあった。ひとつひとつの出会いを大切に、これからも育てていきたい。もちろん仕事も、もっと主導権をとって、自分の力で企画をたてたい。

 

もうひとつ、いつもそうでありたいと考えて意識していながら、なかなかできないことに「上機嫌になる」がある。仕事を中心に、ついうまくいかない不甲斐なさを表に出してしまう。それでも、上機嫌な人間にあこがれる。「機嫌が悪いところ、見たことないよね」そう言われたい。そうなりたいと思ったのは、上機嫌は天性のものではなく、たとえ不機嫌であってもできる「技」なのだということを知ったからだ。他人に不機嫌だと思われてしまうのは、不機嫌なのではなく、上機嫌でいるための技が身についていないだけなのだ。不愛想と無縁な年にしたい。

 

クリスマス商戦の弊害

クリスマスケーキの大量廃棄の現実、という記事を見て、またどんよりとさせられる。前には恵方巻の大量廃棄が問題になった。昨年実績量しか販売しません、売り切れたらごめんなさい、と堂々とうたったスーパーが称賛をあびた。今回も一緒だ。売り切れて「もうありません」と言うくらいだったら売れ残った方が良い、そういう考えでたくさんつくって、いままで以上に売れ残って、廃棄される。お店の売れ残りだけならまだしも、半分残ったホールケーキがごみで出されていることもあるのだとか。半分も食べきれないんだったら食べるなよ、と普通だったら思うけれど、それでも買って食べたくなるクリスマスの雰囲気がそうさせているのかもしれない。自分だったらホール半分をごみ箱に入れようとする前につくったであろうシェフが頭に浮かんで、そのシェフに殴られそうで怖くてとてもできない。

 

大量廃棄にかかるコストを実質的に負担しているのは誰ですか?それは買っている消費者でしょう、消費者にその認識がなさすぎる、というのがその記事。廃棄を見込んだコストがケーキ代に上乗せされていて、その上乗せのおかげで大量廃棄がビジネス的に成り立ってしまっていると思えば、ちょっとは買うのに二の足をふむようになるでしょう。

 

ケーキを買うことそのものが悪ではない。自分だって好きだし、食べたい。だけど、例えばコンビニとかスーパーとかの前を通ったときに、サンタの恰好をした店員さんが「ケーキいかがですか」と店頭販売していて、そこで「じゃぁ食べようか」って感じで買う人が、いったいどれだけいるのだろう。そういう人に売る目的で大量に仕入れるんんじゃなくて、注文して必要な数をつくるっていうようにして、それを数年間続けたら、おのずと廃棄コストの上乗せも少なくなって原価に忠実な価格で食べられるようになるでしょうに。

 

自分はここ数年、クリスマスだからという理由でケーキを買って食べようと思わなくなった。以前は「たまにはいいか」くらいの気持ちで買った時もあったけれど。それより、もともとケーキは好きだし、日常的に食べたいと思ったときに一人でケーキ屋に行くし。だから、わざわざクリスマス商戦に乗る必要はない、きっと数日過ぎたら同じケーキでも安く買えるんじゃないか、世間がケーキを買わなくなったタイミングで好きなケーキ屋でケーキを買った方がそのケーキ屋の売り上げに貢献できるんじゃないか、なんて思っていた。しかしその考えもいま、揺らぎつつある。そんなに大量のケーキが買われずに廃棄されるんだったら、自分も買うことでそのロスをほんの少しでも少なくすることに貢献したい、なんて心が芽生える。自分一人で救えるロスなんてたいしてないのに。

 

以前、回転ずしで乾いた寿司を率先して取るんだ、という意見を聞いて、なるほどそういう考え方もあるのか、と思った。注文すれば新鮮な魚でにぎって出してくれるのに、わざわざ何周も回ってカピカピになった寿司を取る理由は、もう少ししたら廃棄されるから。それだったら食べよう、という考えは自分にとってすごく合理的で、(回転寿司で実際にそうしようと思ったことはないけれど)自分もその考え方に近いなぁと思った。

 

先のケーキにしても、廃棄先が豚の餌なのであればまだ良くて、そうでなくただ焼却?されるのであれば、少しでもそれを軽減できるような方向に動けるようでありたい。なんて思いながら、一昨日はクリスマス明けで平常運転に戻り、店員さんがサンタの帽子を取ったコンビニで、いつもの価格でシュークリームを買い、食べた。いつもどおりが、一番いい。

 

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キャンドルナイト

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久しぶりに下北沢へ。目的だったお店が定休日であるということも知らずに。

 

予定を変更し、向かったセレクトショップ「ダイタデシカ、」も良かった。ありがとうを届けるためのお店というコンセプトが、好み。ここでモノを探すことで、日常的に他人にありがとうと恥ずかしがらずに伝えられるようでありたいと思う。

 

前職で携わったコーポラティブハウスを久しぶりにチラ見して、懐かしさを感じながら、夕方は駅前のイベント会場へ。キャンドルが灯る広場では、寒い中出店者がいたり、ライブ演奏をしていたり。にぎやかな駅前とはいえ、清らかな空気がただよっているように感じた。

 

 

理想のコンビ

理想のコンビ。真っ先に浮かぶのは(というかこれしか浮かばないのだけれど・・・)、「相棒」。杉下右京と亀山薫。右京の相棒が神戸尊、甲斐亨、冠城亘とどんどん変わっていっても、初代相棒の亀山薫が自分にとってのベストパートナーだと、いまでも思っている。

 

シーズン2の「クイズ王」はいまでも心に残る傑作。右京と薫が携帯電話に顔を寄せ合い、犯人が出すクイズに答える。島根県の県庁所在地はという問いに堂々と「松山」と答えちゃう薫の抜けたところと、円周率、小数点以下第151位の数字を3秒で答えちゃう右京のスーパー頭脳。これが凸凹コンビというやつか・・・。「相棒」がきっかけで、亀山薫が私にとってのあこがれのスーパースターとなった。彼のような、熱をもっていて、かつ優しい男に、なりたい。

 

シュガー・ラッシュの「見た目も性格も正反対、でも大親友」というフレーズに、ひかれた。なんか素敵な展開がありそうで、わくわくする。面白そう。

 

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IMAGE or REAL

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12月22日。土曜日。

 

一年に一度、自分に大きな褒美を与えてあげる日。甘いと言われそうだけれど。一度と言わず何度も褒美を受け取っているだろうに、と突っ込まれそうだけれど。

 

去年、一昨年と同じ場所、さいたまスーパーアリーナで、彼らと再会する。ただ今年は一味違った。「LUNA SEA  LUNATIC X'MAS2018 ‐Introduction to the 30th Anniversary‐ IMAGE or REAL」 結成30周年を前に、26年前のアルバムをひっさげたツアーを再構築したライブ。これを演奏していた当時の彼らは22歳くらいだって。そんな若さでこんな曲をつくり、演奏していたのだというから、そしてそれを26年経ったいまさらに成長させて演奏するのだから、すごいとしか言いようがない。彼らほど、自身が昔つくった作品に自信を持って堂々と発表する人たちを、私は知らない。

 

かなりレアで聴けない曲も聴けた。CDで聴いていた時はこんな大曲とは思っていなかったのに、ライブだと壮大になる。映像や演出の効果ももちろんあるだろうけれど、それ以上に、声に、音に、しびれた。

 

成長し続けるバンドを追うことで、だから自分も成長しなければ、と思える。最後の最後にINORANが「これからも、まだまだやれるぞ。これからもついてこいよ」と叫んだのが印象的で、あぁ、まだ大丈夫なんだ、まだまだ彼らの音楽に触れていることができるのだ、と安心した。これで、来年も頑張れる。

 

絵本を選ぶこと

土曜日は、竣工済みコーポラティブハウスのクリスマス会に誘っていただき、お邪魔した。毎年恒例のこの行事。ずっと続けるということがいかに重要であるかということと、続けているがゆえの楽しさを、実感した。

 

プレゼント交換のプレゼント、さて何にしようかと毎年悩む。好き嫌いが分かれるものにはしたくない。また、自分の趣味の押し付けになりはしないだろうか、という不安もある。まぁ結局は、何かピンとくるものがあって、それを選んで「失敗したぁ」と思ったことはいまのところないので、よしとしている。

 

今年は絵本を選んだ。自分自身、今年出会った絵本専門店で月に一冊絵本が届く定期便をオーダーし、絵本を届けてもらう立場の面白さを感じたから、その面白さが伝わったらいいなぁと思った。結果、喜んでもらえたので、良かった。

 

絵本を、他人のために選んだのは初めてだ。本を他人に贈るのは本当に難しい。それこそ自分の「これ面白かったよ」を押し付けてしまうようであまり好きではない。自分が読んで面白かったとしても、他人が読んで面白いと感じるかは微妙で、むしろそうでないことの方が多いと思っているからだ。だけど、本を一つの形あるモノとして、ビジュアル含め楽しめるこの絵本の体裁は、そのハードルをほんの少しだけ低くしてくれた。これが絵本の魅力の一つであり、この絵本専門店の店主が絵本に魅せられている理由なのではないかと思った。

 

 

一方、プレゼント用とは別に、自分用にもちゃっかり買っていたり。自分で読む絵本を自分で選んだのも、きっと初めてだ。思った以上に、難しかった。

 

とんでもない

とんでもない

 

  

Michi (福音館の単行本)

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モミの木

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スマートに席を譲ること

電車内にて。やや混雑している車内、たまたま自分が立ったのが優先席の前。同じように隣に立ったのは比較的高齢女性。すると、目の前に座っている男性が「どうぞどうぞ」と女性に譲るように席を立った。いえいえ、大丈夫ですよ。上品に遠慮する女性。しかし男性は、いやいや、もうすぐ降りますから、と席を譲った。女性はそっと手のひらで男性の肩に触れ、会釈する。顔はにこやかだ。そして、席を立った男性のすぐ隣に座っていた男性がすかさず、「まだお若そうだからねぇ・・・」と、席を譲られて恐縮している女性をフォローするように言った。座った女性は、あらあなた優しい、と、今度は隣の男性の肩に手を触れ、微笑んだ。一瞬だったけれど、滑らかなやりとりだった。

 

席を譲った男性、譲られて遠慮しつつもその優しさを受け止める女性。そしてフォローする男性。みんながみんな、かっこよくて、素敵だなぁと思った。

 

今日はこのように座っている人が前に立つ人に席を譲る光景を2回見た。その都度、譲る方も、譲られる方も、スマートでかっこいいなぁと思う。

 

翻って・・・もし自分だったらどうだろう。自分が座っていて、目の前に立つ人に席を譲ろうと思い立った時。そう思うことは過去に何回もあっただろうけれど、どうぞとすっと席を立って譲った記憶が、あまりない。どうも恥ずかしさが心から抜けない。自分だったらきっと、無言で、あたかも次で降りるために席を立ったにすぎないのだという空気を出しながら、さっと立ってその場から離れるのではないか。そう思ってしまった。だとすると、分かっていても席を譲らず、目を閉じて寝たふりをするような自分とはまた別の意味で、邪だなぁと気づいた。

 

別に誰に対してかっこつけるわけじゃないんだし。誰かが見てるからやることでもないんだし。もっとスマートに、動けるようでありたい。

 

モノとの付き合い方を考える

自分の身のまわりのモノとの付き合い方を、改めて考える。

 

再来年の引っ越しを予定している。自由設計の賃貸住宅。初めてのことで、いまからワクワクしている。新しい住まいでは、どんな家具を使おうか。どんな雑貨を置こうか。新しいものを迎えたい。だけど、決して大きな家に住むわけではないので、持っていけるものには限りがある。だから必然的に、自分にとって必要であり、なくてはならないものだけを厳選して持っていくことになる。

 

自分にとって本当に必要なものとは何だろう。その判断基準となるのが、「それにお金を使うことでお金が喜ぶかどうか」ということ。これは、松浦弥太郎さんの本を読んで学んだことだ。お金を投じたことが自分の成長につながって、「よかったね」とお金が言ってくれるかどうか。それを考えるようにしている。

 

自分にとって愛着があって、手に入れるまでのストーリーがあって、手作りで・・・。そんなモノだけに囲まれて過ごすことができれば理想的だけれど、実際は難しい。だけど、「これ、いつ買ったっけ?」とか「だれからもらったんだろう・・・」とか、そういうものがあふれているような生活は、したくない。モノの取捨選択は、慎重にしようとしてしすぎることはないと思っている。

 

少なくとも、その瞬間の衝動、欲だけで抱え込んでしまうようなことは、しないように。近い将来環境が変わることをきっかけに、そのことを強く心に刻む。

 

松浦弥太郎の新しいお金術 (集英社文庫)

松浦弥太郎の新しいお金術 (集英社文庫)

 

 

dim

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以前知り合ってファンになった作家さんが久しぶりに展示を行うというので、池袋に行ってきた。ある立派な古民家が、事情があって取り壊されることとなり、それまでの間、期間限定でギャラリーとして開放しているという。その役割を終え、これから姿を消そうとしている建物に、一時的とはいえ命を吹き込むその取り組みに、面白さを感じた。きっと自分はこういう「その空間にそれまでなかったものが生まれ、その場限りの生命を全うする」感が好きなのだと思う。

 

池袋駅から歩いて巨大な六叉路を渡り、路地の中に入ると急に静かな街並みになる。そんな中にあった古民家は、屋敷といった方がイメージに近い。ここでのギャラリーは、所有者家族から声がかかったことがきっかけで実現したのだとか。昔からそこにあったことを視覚的に示すその古民家の雰囲気が、展示された作品をより一層味わい深いものにしていた。

 

彼女の作品は、基本はペン一本ですべて描かれる。知り合った時のままだ。表現手法はびっくりするくらいシンプルなのに、その絵からはいろいろなイメージが頭に浮かぶ。色もほとんどなく、太い細いといった強弱が特別あるわけでもないのに、なんでなんだろう。

 

ひょんなきっかけだったけれど、そのきっかけがこうして縁となり、別の美しいものを知るきっかけにもなる。出会ったものを大切にするって、いいなぁと思う。

 

期間限定ギャラリー dim

www.instagram.com

 

森藤絢香

www.instagram.com

 

きっかけ

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思考を整理するために

他人との会話の中で出てきた本の話。その本を知ってはいるけれど読んでいなくて、相手がそれに影響を受けた、といった話を聞くと、なんとなくそれが自分に足りない分野の本に思えてきて、急に読みたくなる。いままで読もうと思った試しがないのにも関わらず。結局、他人に影響されやすい自分だ。それでも、こういうきっかけを活かしながら、いろいろな分野の知識を得ていければいいなぁと思う。

 

いつもの本屋。そういえばあったはずだと思って本棚を辿ると、あった。初版は1986年というから、32年前。文庫版とはいえ、これが今でも平積みされているんだから、時を経ても褪せない価値を見出すきっかけを与えてくれる良書なのだろう。

 

ついでに、かつて関心をもって考えていたテーマに関する本も見繕う。自分のこれからの仕事の進め方など、もうちょっと深く考えるために、取り入れようよ、と思う。

 

 

思考の整理学 (ちくま文庫)

思考の整理学 (ちくま文庫)

 

  

永続敗戦論 戦後日本の核心 (講談社+α文庫)

永続敗戦論 戦後日本の核心 (講談社+α文庫)

 

 

失敗の研究 巨大組織が崩れるとき (日経ビジネス人文庫)

失敗の研究 巨大組織が崩れるとき (日経ビジネス人文庫)

 

 

これからの仕事のしかたを考える

事務所の先輩スタッフが退職する。送別会があり、そこで彼のこれからの決意を聞いて自分も襟を正した。いつ休んでいるのだろうかと時に心配になるくらい仕事に没頭し、それも大変そうなそぶりなど見せず、飄々と、かつ楽しそうに仕事をする彼の姿に、自分はとうていそこにはたどり着けないなぁと絶望することもある。それでも、そんなスタッフと一緒に仕事ができたんだから、自分もちゃんとしなければ、と奮い立たされた。

 

仕事は他人から与えられるものではなく、自分でつくりだすもの。そういう考えをずっともってこれまで働いてきた。前職の建設営業だってそう。営業マンが顧客を口説いて受注しなければ、どんなに有能な現場監督がいたって工事はできない。そしていまもそう。こういう良い土地があるからここに住みませんか?設計しますので。というように仕掛けなければ、コーポラティブハウスはつくれない。しかし、じゃぁいままで純粋に自己の力で企画ができているかと言われると、残念ながらはいとは言えない。その事実に、胸が痛む。

 

いつになくたくさんのアルコールが入り、記憶も若干おぼろげながら、それでも、これからの自分の仕事との向き合い方を考えるにあたって重要な言葉が得られたと思う。もっと冷静に、もっと深く、自分がどう動くべきなのかを考えて、行動する。

 

これからさらにパワーアップするであろう先輩スタッフに「おいおい、そりゃないよ」と思われてしまうようなことがないように。

 

自由設計の住まいづくり、始動

自分が住む住宅を、自分でつくっている。賃貸だけれど。

 

これまではクライアントの暮らしをつくるサポートをする立場だった。楽しそうに打合せをしているクライアントに触れては、自由設計の住まいづくりに意義があることを確かめていた。楽しかったから、できることならもう一度やり直したいくらいだ、そんなコメントをもらえたときは、本当にうれしかった。自分がこの仕事に携わることで確かな価値を提供できているのだという実感が持てた。

 

だからなのか、自分もその楽しさを体感したいと思うようになった。本当に不思議なのだけれど、そんな折に縁が重なり、参加することとなった。本当は自分は運がいいのか?

 

設計の打合せで、内装の仕上げを確認していく。こうやって使いたいのだけれどどうすべきか、といった話をする。なんとなく頭にこういう家にしたいというイメージはあるし、テーマも持っているけれど、設計スタッフがかっこいいものをつくってくれるという確信がすでにあるから、あまりわがままに自分の想いを言わなくてもいいだろうといまは思うようにしている。

 

 

「自由設計の住まいづくり」コーポラティブハウスを仕事にしたいと思うようになって以来ずっと、これを経験することに憧れとしていた。それがいま、叶うことがとにかくうれしい。この楽しさをたっぷり経験して、これからは、体験談という名のより強いエネルギーを持ったコトバで、自由設計の面白さを伝えられるようになりたい。

 

そんな住まいづくりの過程を、ここでも少しづつコトバに残していけたら。

 

アオッ

ミュージックステーションを久しぶりに観た。テレビから離れてしばらく経つので、いまのテレビ番組をほとんど知らない。長寿番組のミュージックステーションも、司会者や番組の構成も変わっていて、新鮮だった。

 

それにしても、THE YELLOW MONKEYはかっこよかった。特に触れていなかったけれど、再始動以降初めてじゃないかと思っていた。実は「STARS」も「砂の塔」も披露していたと知ったのは、いまだ。

 

フルで聴くことができたのは、出演アーティストが少なかったからか?最高に、興奮した。

 

間奏明けの「アオッ!」がHEESEY担当だったのが、不意打ち。これだからイエローモンキーは、たまらない。