種をまくということ

1月2日と3日は箱根駅伝。毎年テレビの前で母校の活躍を見守っている。スタートの時間にたいてい起きられないのがつらいのだが・・・。

 

東洋大学は今年も往路優勝。一年生が中心の若いチームがだんとつのたすきリレー。年初から勇気をもらった。復路では青山学院大学に抜かれてしまったけれど、堂々の2位でそのままゴール。10年連続3位以内という快挙は、今年一年自分も頑張ろうと思わせるのに十分すぎる。母校がこんなに汗を流して日々努力しているのに、自分は、というように。この高ぶる気持ちを忘れないように。

 

 

種をまいているのだという意識をもとう。自分がいま取り組んでいることひとつひとつが、将来花咲くための種まきであるのだと知ろう。それから、時間はかかるかもしれないけれど、まいた種は必ず成長し、花が咲くのだと信じる。そうすれば、毎日のひとつひとつを、その時は成果を実感できなくてつまらなくても、大切なことだと思って積み上げていくことができる。で、咲いた花を、存分に楽しむことができる。

 

そんなことを、正月休み最終日、自宅前の本屋で尊敬する松浦弥太郎さんの新刊を手に取って読みながら、思った。

 

しあわせを生む小さな種 今日のベリーグッド (PHP文庫)

しあわせを生む小さな種 今日のベリーグッド (PHP文庫)

 

 

 

高校を卒業して以来、部活の練習という「自分を鍛えてくれるもの」から離れた。大学を卒業して以来、自分の行動を決めてくれる「時間割」から離れた。だらけようと思えばいくらでもだらけることができてしまう。自己管理は自己責任。誰からもとやかく言われない代わりに、自分で自分を動かさなければいけない。だからこそ、自分で自分を鍛えて、いまの自分に適した時間割を組む。そうやって過ごそう。それを自分の暮らしのベーシックにしよう。それを新しい習慣にしよう。それを自分らしさにしよう。それが種になって、きれいな花が咲きはしないだろうか。

 

身体を軽くする

去年、1年間で体重を15キロ減らすことを目標にしていた。年明け、久しぶりに体重計に乗ってみてみたら、クリアしていて驚いた。このところ、年単位で目標を立てて達成したという達成感を得られたことがなかったから、素直に嬉しかった。と同時に、去年までの自分に余分な肉がついていたのかと思うと、ぞっとする。

 

今年はもう少し頑張って、もう10キロ減らして、身体を軽くしたい。去年、少しづつ再開したジョギングを今年も続けながら。がっついて食べ過ぎると、その時は気持ち良くても、そのあとたいてい体調が悪くなる。だから、やめる。

 

 

名言集と失敗集

「こうしたら仕事が進むかもしれない」とか「こうやって考えたらうまくいくかもしれない」と気づいたとき、参考にするのはいつも、誰かほかの人の考え方だ。彼だったらどう考えるだろう。こんな結論を出すんじゃないか。だからこうやって動いてみようか。というように。自分一人で考えつくことには限界があるんだから、他人の意見をとことんとりいれてみようよ。とりあえず真似してみようよ。そう思うようになった。そしてそれはれっきとした「力」なのだということを、この本を読んで確信した。やるからには、中途半端に真似するんじゃなくて、真面目に真似する。それが創造なんだ。

 

「スマホにマイ名言集を」スマホだったら常に持っているんだから、気づいたときにメモをしやすい。「あっこの言葉、いいなぁ」と思った時にすぐメモをして、自分なりの名言集をつくる。そうすれば「なんかあのときいいことを言った気がするんだけど、思い出せない」といったことがなくなる。自分の行動を支える「芯」ができる。

 

それに加えて、今年はこれを実行してみよう、と思っているものがある。それが「失敗ノート」だ。失敗して悔しい思いをしたとき、その失敗の内容と、どうすればよかったかを記しておく。そうすると、次にくだらない同じ失敗をしないで済む。

 

スマホに、自分なりの「名言集」と「失敗集」を。スマホを持つからには、もっと活用しなければ。

 

まねる力 模倣こそが創造である (朝日新書)

まねる力 模倣こそが創造である (朝日新書)

 

 

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2018

年明け、いつも紅白歌合戦を観終わった後、ゆく年くる年を観ながら清らかな気持ちでいる。年が明けた瞬間、家族内で拍手が起きる。幸せな光景だ。

 

「今年の抱負は?」そう唐突に家族に言われ、たじろいだ。その場で答えられず、そうか、抱負がないのか、と思った。いつものことながら、情けない。

 

今年は・・・抱負と言うほど仰々しいものじゃないと思うけれど、昨日の紅白歌合戦で竹原ピストルとエレファントカシマシが全部教えてくれたんじゃないかと思っている。がむしゃらに生き、これじゃいけないと頭を抱える自分を認めてあげること。そうすれば、今宵の月のように輝くんじゃないかと思っている。当事者意識、主導権をもって仕事を進める。「ここはまぁ俺に任せておけや」と言えるように。そういう仕事の進め方ができれば、きっと成果はあとからついてくるんじゃないかと思っている。いつだってミュージシャン頼みだ。

 

夢を歌う

紅白歌合戦を観ながら大晦日を満喫中。

 

「こんな自分のままじゃいけないって頭を抱えてるそんな自分のままで行けよ」竹原ピストルのがむしゃらな歌に、自分はまず、こんな自分のままじゃいけないって頭を抱えないといけないと思った。そうしないとスタート地点にすら立てない。

 

「いつの日か輝くだろう今宵の月のように」首からさげたギターが逆になろうが気にせずパフォーマンスをするエレカシの宮本さんがかっこよくて、こんなきれいな月はないなぁと思った。自分なりに輝くにはどうしたらよいか、真剣に考えないといけない。

 

いつだって、歌に元気づけられ、歌に背中を押されてきた。今年もそんな一年だった。

ミライザカ

年末年始、実家に戻ったときに必ず会う仲間と今年も。東松山。どんどん変貌してく街は、駅前の居酒屋も様変わりしていてびっくりする。去年は確かワタミだった気がする、駅前の角地のビルの2階。それが斬新な名前の居酒屋に変わっていて、迷わずそこへ入った。「ただいまご予約客で満席です」一度は断られたものの、すぐに「すみません、二名様でしたらご案内できます」。助かった、と思った。

 

オープンで庶民的な居酒屋で、居心地がよかった。久しぶりに会う彼からは、いつも会うたびに刺激をもらえる。一級建築士をもっていて、一級建築施工管理技士ももっていて、そのうえ一級土木施工管理技士の資格もとったのだとか。すごすぎる。負けていられない、といつも思う。

 

若者が集まるようなイタリアンバルもあり、3年前にお世話になった飲み屋からリニューアルしたバーがあり、とどんどん進化しているのを感じる。駅前の再開発で商業ビルとホテルもできるらしい。楽しみだ。

 

Season12-6 右京の腕時計

シーズン12 第6話「右京の腕時計」

 

右京の腕時計が狂ってしまい、公認高級時計師の津田に修理を依頼する。その後、津田が勤務する会社の社長、藤井の遺体が発見される。藤井はアパレル会社社長の関から、津田の技術を利用した安価な腕時計の開発を持ち掛けられており、それに反対していた。遺書が見つかったことから当初は自殺と考えられたが、右京と亨は、エアコンの不自然なタイマー設定などの現場の状況から、他殺の可能性を見つける。

 

自殺と思われたのが実は他殺で、そこから最後にまた一転して、視点が変わる。その転換があざやかで、最後に悲しい事実が明らかになる。

 

ラスト、真相が明らかになっとき。思い出と一緒に流れる「カノン」が、事件の悲しさを一層強くさせる。音楽と映像との組み合わせで感情を揺さぶられるところは、例えば小説を読むのでは味わえない、ドラマならではの面白さだなぁ、と久しぶりに再放送をを観て思った。真相を知ってしまったがために、殺人を実行させるまでに思い詰めてしまう男。悲しすぎる。

 

Horizon

もう一度触れられるのなら 

ずっと離れはしないさ 

あの夏の夕立ぐらい泣いていいから

(THE YELLOW MONKEY/Horizon)

 

世間より少し早めに仕事納め。今日から休み。少しゆっくり過ごしながら、帰省する途中の電車内。車窓からの景色をぼんやり眺めながら、頭にはこの曲が鳴り響く。そうか、今日は福岡でメカラウロコをやってるんだ。今年も本当に彼らに助けられ、感動と興奮を教えてもらった。

 

ハローハロー今の自分 望み通りかい?

(THE YELLOW MONKEY/Horizon)

 

望み通りかと言われたら、まだまだ望み通りじゃなくて、望み通りになるためにどうしたらよいかもよくわからない。なりたい自分になるための努力を、外のせいにして怠ってはいないか。

 

東京ドームでのライブ。暗転したステージに浮かぶ映像。導火線についた火がじりじりと進む。スーツを着た4人の鹿(?)は、強い絆で結ばれた彼らの象徴か。

 

自分は仕事人としてこれからどんな景色をつくれるのだろうか。その漠然とした疑問が、目の前の車窓からの景色とどこかリンクする。今年、たくさんの新曲を届けてくれた彼らからのプレゼント。いい曲だなぁ。

 


Horizon (Center Screen Version) / THE YELLOW MONKEY

電車と音楽とイヤホン

通勤やそのほかの移動などで電車に乗ることが多い。通勤に片道1時間、往復2時間とすると1週間で10時間。1か月で40時間。年間にすると・・・と考えていくと、決して無視できるレベルの時間ではない。その時間を無駄に過ごすか有意義に過ごすかは、大きな差となって現れる。そうは思いながらも、現実的にはなかなか有意義と言える時間は過ごせていない。

 

スマホをいじるのはなんか好きじゃないのだけれど、かといってずっと本を読んでいられるかと言うと、そうもいかない。眠い時も多いし、その日手元にある本に関心がわかない時だってある。ではどうするか。イヤホンをつけて音楽を聴く、ということに逃げがちである。隣で同じく音楽を聴いている人の音漏れが気になってそれを紛らわせるため、ということもある。でもそれ以上に、音楽を聴きながら目を閉じてさえいれば、そう短くもない時間を退屈せず過ごすことができるから、そうしている。ただこれも問題があって、最近やめようと思うようになった。

 

 

以前、乗っている車両のトラブルで急遽途中の駅で車両交換をすることになり、途中駅で全員一旦降りなければならないことがあった。それをアナウンスする車内放送を、その音量を上回る音楽を聴いていた自分は聞くことができず、降りなさいよ、と見ず知らずの方に肩を叩かれて気づいて慌てた。それ以来、車内放送が聞こえないような音量で音楽は聴くべきでないと思った。

 

その教訓も忘れかけてきた昨日。電車内で目を閉じて立っていて、ふと目を開けたら、目の前に座っている方が自分を見て口を動かしていた。慌ててイヤホンをとったら、「後ろの席、空きましたよ」と、丁寧に教えてくれていたのだった。「あぁ、ありがとうございます、大丈夫です」なんてやりとりをしてその場は終わったけれど、多分あの時自分は音楽を聴きながら目を閉じていたから、彼女の厚意にしばらく気づかなかったのだと思う。もしイヤホンで耳がふさがっていなかったら、すぐその声を聞くことができたはずだった。

 

そのあと、別の電車に乗り換えて帰宅する直前。目の前の座席が二席分空いた。もうすぐ降りるからと座らずにいたら、隣に立っていた女性二人組がこっちを気にしながら座ろうとする。空席のひとつが立っている自分の目の前だったから、二人で座るのをちょっとためらったのだと思う。私が「どうぞどうぞ」と言ったのだけれど、その時聴いていた音楽がサビで佳境だったこともあり、女性の丁寧な「ありがとうございます」がちょっと視界に入っただけで、その声も聞かず、無視して目を閉じてしまった。電車を降りて、ずいぶん不愛想なふるまいだったなぁと気づいたときには、電車は行ってしまっていてもう遅かった。

 

 

だいたい、街中でイヤホンつけて音楽を聴いている人を見て良い印象を抱くことなんてない。6~7割くらいの確率で音漏れは聞こえるし。でも、自分もそう思われても当然なことをしているのだと気づいた途端、無性に恥ずかしくなった。音楽は好きだし、通勤時間以外でアルバム1曲分の音楽をゆっくり聴く時間が一日のうちあるかというとあまりないから、通勤時間は貴重だったりする。それでも、イヤホンをつけていたがために外からのアプローチに対する反応がにぶくなってしまうのだとすると、それは避けたい。

 

ひとまず、イヤホン持ち出し禁止にしてみようか。やってみて、禁断症状が出るようだったら、音楽との付き合い方を見直すべきだ。大好きなロックバンドのライブを2本立て続けに観た、幸せすぎるくらい幸せな年末に、音楽との付き合い方を改めて考える。

 

誓い文

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12月23日。

 

こうして2年続けて彼らに会えるということが、とにかく幸せでならない。12月23日は自分と彼らにとってのクリスマスなのだ、だから自分は決して「ぼっち」ではない、と思う。そうやって自分に言い聞かせている。

 

誓い文。4年ぶりにリリースされたニューアルバムの収録曲の中で、ひと際まぶしく輝いている曲だと思っている。タンタンと刻むリズムに自然に身体が揺れる。今日も、そうだった。今日、この曲が聴けて嬉しかった。

 

抱えたままの愛を 今すぐに届けよう

(LUNA SEA/誓い文)

  

もはや彼らの音楽は自分にとってなくてはならないものだ。また、彼らを好きであることを、例えば職場のスタッフにも恥ずかしくも打ち明けてしまっている。共感してくれる仲間が仮にいなくても、自分は自分なりに、彼らの音楽のどこが好きで、どこを生きる糧としているのかをじっくり考え、それを他人に届けられるようでありたいと思っている。

 

「いままでの自分ではダメだから。いまの自分、新しい自分でなければ。先を見なければ」彼らが渾身の作品を時間をかけてつくって、満を持して世に放ったように、自分も自分にとって新しい仕事を、渾身の力を振り絞って動かしていく。今日たてた誓いをこの「誓い文」にしたためて、できることならまた来年、同じ場所で、また会いたい。

 

花を愛でる


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毎年恒例のクリスマス会に参加させていただいた。年々、入居者同士の結束が強くなっていて、当たり前の光景になりつつある。それでいて、住まいに対する愛着は決して薄れることはなく、むしろより強くなっている。「正直、言いたいことはあるけれどね。最終的には、まぁいっか、って思えちゃうんだよね。家に帰ってきたときの、アプローチの雰囲気とか、やっぱり『いいなぁ』って思うもの」そういう言葉を聞けるのが、ただただ嬉しい。

 

プレゼント交換も大盛り上がり。こういう、特にお金をかけて何か特別なことをしているわけではないのに、みんながハッピーになる企てを、したらいいんだよ、とアドバイスを受けて、なるほどなぁと思った。まだまだコーポラティブハウスの入居者からの生の声に学ぶべきことは多い。

 

事務所のスタッフからのアドバイスで、球根をプレゼントに選んだら、あたった方に喜んでもらえた。やっぱり他人の助言には耳を傾けるべきなんだな、「それはちょっと・・・」と仮に思っても、とりあえず従ってみることって重要なんだな、と思った。なにかすすめられたら、ひとまず実践してみて、その結果をすすめてくれた人に報告する。それは松浦弥太郎さんの本で教わったルールなのだけれど、本当に実践すべきだ。

 

 

他人の考えに共感したら、影響を受けて、まずは真似してみたくなる性分。いま、実践してみたいことが一つある。「オトナに」という番組でユースケ・サンタマリアさんが言っていた。「一輪挿しが好きでね。5年くらい、花を途絶えさせたことないんです。一本。少々枯れてもまだ、ほんとボロボロになるまで活ける。枯れた感じもまた、いい。水をあげて生きるところまでやって。こんな長い一輪挿しがこんな短くなって、枯れて、やっと替える」ほんとすごいと思う。かっこいい。一輪挿しを丁寧に育てる。オトナとは「花を愛でる」、それも一理ある。

 


#24 ホリエアツシ(ストレイテナー)×牧達弥(go!go!vanillas) 後編【せいこうユースケトーク オトナに!】

JAMと球根

THE YELLOW MONKEYの東京ドームライブの余韻が、1週間経ついまもまだ残っている。他にいない、唯一無二なバンドのツボをおさえたロックミュージックが、いつも自分の頭の中で鳴っていて、ときに仕事への集中力さえも奪う。なんて、仕事がうまくいかないことを彼らの音楽のせいにしたら怒られそうだ。

 

東京ドームでやることに特に思い入れのある曲、という紹介ののちに歌った「JAM」の破壊力といったら、なかった。スクリーンに浮かび上がる歌詞がランダムに泳いでは消える。そんな演出を見ながら、「君に会いたくて君に会いたくて」と叫ぶ。まだしばらくは脳に残る余韻に浸りながら過ごせそうだ。

 

ジャム、つまりパンに塗って食べるそのジャムを自分が好きなのは、そんな具合で「JAM」が大好きな曲だから、と言ったら嘘になるけれど、決して無関係ではないだろう。食パンにジャムを塗って広げるたびに、プロモーションビデオの映像が頭に浮かぶ。そもそも子供の頃はパン自体が嫌いだったのに、いまはパンにジャムを塗って食べるのが好きで、おいしいジャムを手作り市で見つけては大喜びしているのだから、音楽の力はすさまじい。イエローモンキーに影響を受けて、おいしいジャムまで見つけました。なんて人にジャムを紹介できたら素敵だ。そしてそんなジャムに、雑司が谷の手創り市で出会った。デコポンというみかんでつくったママレードジャムがとにかくおいしくて、これさえあればどんなに寒い朝でも起きることができて、朝食をとる習慣を取り戻せるんじゃないかと思っている。

 

 

「球根」も大好きな曲だ。実はこっちの曲に虜になった方が先だ。何の音楽番組か忘れてしまったけれど、テレビで観て身体に電流が走ったことを覚えている。思えばイエローモンキーを意識したきっかけが、この曲だった。東京ドームでは残念ながら聴くことはできなかったけれど。

 

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嬉しいことに誘っていただき、毎年参加させてもらっているクリスマス会が控えている。交換用のプレゼントをどうしようかと迷っていたら、「球根とかいいんじゃない?ムスカリとかアネモネとか。花じゃなくて、これから育ててもらうわけ。3月になったら花が咲くとか、いいじゃない」とアドバイスをもらって、なるほど、と思った。球根か。花が開いた状態でプレゼントするんじゃなくて、これから植えてもらって、育つ過程を楽しんでもらおう。それは良い。ずっと残って捨てたくても捨てられず困る、なんて思われずに済むように、食べ物系がいいだろうとばかり考えていた自分には、ない発想だった。

 

 

「JAM」と「球根」。自分にとって特別な曲を挙げるとしたら、この二つだろう(ベスト3と言われたら、これに「SO YOUNG」が加わる)。偶然実在する名詞がタイトルだったことから、クリスマスプレゼントの案がおのずとまとまった。デコポンママレードのジャムの感動するようなおいしさを、他人と共有したい。また、「土の中で待て」なんて唱えながら球根を育てて、花開くまでの過程を楽しんでほしい。プレゼントには、ジャムと球根。イエローモンキーのライブの後味をのどに残しながら。そんなプレゼント、どうでしょう。気づいてもらえないかなぁ。 

感謝

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12月10日。日曜日。

 

前日、東京ドーム公演のあと、その足で実家へ。妹の結婚式で。

 

神前式で、また身近な身内だけで。彼女らしいと思った。

 

友人や会社の同期、先輩の結婚式には何度も出席しているけれど、兄妹の結婚式となるとまた違った緊張感があった。正直、緊張した。

 

自分の知らないうちに立派になり、新しい人生を歩もうとしている彼女を、心から尊敬した。

 

親への想いを声を震わせながら伝える彼女を見て、自分も、感謝の気持ちをもっていままで以上に生きなくては、と思った。

 

何よりもここでこうしてることが奇跡と思うんだ

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12月9日。土曜日。

 

接骨、美容院と用事を済ませたあと、東京ドームへ。今年の自分にとってのビッグイベントのひとつが、THE YELLOW MONKEYの17年ぶりの東京ドーム公演だ。

 

17年前はドームに足を運べず、映像でしか見ていなかったけれど、その迫力はいまでも覚えている。しかし、活動休止を控えている彼らの顔にはあまり笑顔がなく、当時は全体的に「これで最後なんだ。しばらく会えないんだ」という悲しいムードが漂っていたように記憶している。と同時に、いつになるかは分からないけれど、必ず活動を再開してくれるだろう、という期待が、あった。公演直後に発表された「プライマル。」が明るくリズミカルな曲であることが、その期待を助長させた。しかしその期待は3年後、もろくも崩れ去ることになる。

 

それ以降、「復活なんてないんだろうなぁ」と諦めていた分際だったから、17年間、東京ドームに帰ってくるのを待ってましたよ、とは言えない。だけど、こうして17年という長い時間を経て再び帰ってきた彼らを迎えられることが、ただただ幸せでならない。解散を知った13年前の自分では想像もできないような奇跡だから。

 

何よりもここでこうしてることが奇跡と思うんだ

(THE YELLOW MONKEY/ALRIGHT)

 

ほんとにそう思ったよ。この歌詞はこの瞬間のためにあるんだと思ったよ。

 

「真珠色の革命時代」映像とストリングスの荘厳さに涙が出たよ。

 

「バラ色の日々」の歌い出し、一緒に歌って、完全に泣いたよ。

 

「My Winding Road」演ってくれたのがあまりにも嬉しくて、エマさんのギンギラギターとミラーボールに見とれてたよ。

 

「LOVE LOVE SHOW」世界のお姉さんとステージ両脇のM字開脚オブジェがエロチックすぎて、曲が入ってこないくらいだったよ。

 

なにより、過去の実績に想いを巡らせ、振り返るだけじゃなくて、これから進化していこうとする強い意思が感じられたから、嬉しかった。昔のままで行こう、と思っていたら、あんなギラギラな演出は企画できなかっただろうし。

 

最高な夜を、ありがとうございました。

 

砂漠

奥沢に「Children」というバーがあるということを、自由が丘のお店を紹介する「自由が丘の贈り物 私のお店、私の街」という本を読んで知った。そのネーミングを見た瞬間にぱっと頭に浮かんだのが、伊坂幸太郎さんの小説「チルドレン」だったから、その小説が店名の由来であることを知ったときは、驚いたのと同時に、自分と似たものに感動し、リスペクトし、店名にする彼らに共感を覚えた。「俺たちの仕事は奇跡を起こすんだ」という小説の中の台詞を合言葉にしていたという彼らに対して、先に良いアイデアを取られたかのように嫉妬した。ぶっきらぼうながらも奇跡を起こすように仕事をする陣内さんを想う。

 

奥沢2丁目?地図で調べると、奥沢神社のすぐ近くだ。へぇ、あのあたりに、そんな素敵なバーが。と検索をしていたら、いまは閉店しているという事実にたどり着いた。もしそのお店が存続していて、今夜も常連さんに美味しい料理と美しい時間を提供しているということを「奇跡」と呼ぶのだとすると、奇跡は起きなかったのかもしれない。しかし、彼らのことを何も知らない自分は、彼らが奇跡を起こすことができなかったなんて言える立場にない。

 

 

好きな小説の言葉に影響を受けて店の名前にするというのもかっこいいなぁ、と憧れの気持ちを持つことができた。自分もそういう合言葉になるようなフレーズに出会いたい。いや、もうあるはずだ。例えば・・・。

 

砂漠。伊坂幸太郎さんの小説の中で真っ先に格言調の言葉が思い浮かぶのがこれだ。「その気になれば砂漠に雪を降らせることだってできるんですよ」「目の前の危機を救えばいいじゃないですか。目の前の危機を救えない人間がね、明日世界を救えるはずがないんですよ」西嶋の言葉を何度繰り返し読んだことか。奇跡を起こすことを合言葉にするのなら。大風呂敷を広げるんじゃなくて、いま目の前にある問題を解決するために自分は何をしたらよいのか、ということを考えるなら。テーマに掲げる小説は、これだ。ぴったりだ。

 

砂漠。例えば本屋も雑貨屋もレストランもなにも近くにない地方に人を集めることが、砂漠に雪を降らせることと同じくらい難しいのであれば、それはやる価値がある。バー砂漠。ブックカフェ砂漠。ギャラリー砂漠・・・。どうだろう、いまにも雪が降ってきそうじゃないか。そんな価値あるお店を、いつかつくりたい。

 

 

彼らの合言葉が、本を介して、そのお店に行ったこともない下戸な男の目に留まり、その店名の由来であるエピソードから刺激を受けて、別の小説のストーリーを思い出し、新しいアイデアが生まれた。これもきっと彼らが起こした奇跡だ。

 

自由が丘の贈り物 私のお店、私の街

自由が丘の贈り物 私のお店、私の街

 

 

チルドレン (講談社文庫)

チルドレン (講談社文庫)

 

  

砂漠 (新潮文庫)

砂漠 (新潮文庫)