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パリは燃えているか

自宅前のホールで大家さんが企画するミニコンサートがあり、聴きに行ってきた。バイオリン、ヴィオラ、チェロの4重奏。桜の花は満開、とまではまだ行かなかったけれど、桜の木の下、心地よい時間を過ごすことができた。

 

パリは燃えているか」という曲を、しばらく前に同じくここで開かれたミニコンサートで初めて聴いて、虜になった。第二次大戦時代、パリを破壊せよとヒトラーが指令を出す。焼け野原の映像が脳をかすめるような、そんなもの悲しい雰囲気を、美しい4人が丁寧に表現していて、しびれた。よりいっそう好きな曲になった。

 

 

市川出身とか、市川在住とか、そういった方で、自分よりはるかに若かったりするのに、ポリシーをもって、夢をもって、活躍している人がたくさんいる。そういう人に、このところ触れる機会が多い。自分も負けていられない、頑張らなければ、と思わずにはいられない。

 

 

こういう素晴らしい力をもっている方の発表の場を、力を伝播させて他の人へとつなげられるような場を、自分もつくれないだろうか。ひょっとして、アイデアと、ちょっとした勇気、行動力、熱意があれば、自分も企画できるのではないか。そう思えるようになった。さらに、自分も「これをやってみたい」「これを誰かに伝えたい」というものを、実現できるかもしれない。自分で勝手にハードルを高く設定していたけれど、それはただ単に自分で自分を抑えつけていただけに過ぎず、本当は簡単なことなのかもしれない。「難しいことは考えず、とりあえずやったらいいじゃん」そんな言葉が頭に浮かぶ。

 

FOREVER&EVER

何処まで翔べるのか確かめたくて

LUNA SEA/FOREVER&EVER)

 

 

「趣味は何ですか?」と聞かれたときにスパッと答えられるような、そんな楽しみがあればいいなぁと思いながら、割と長いこと自分にとっての趣味は何かを考えている。音楽鑑賞?いやいや、そんなに聴くわけではないし、好きで聴く音楽の範囲が狭すぎて恥ずかしいくらいだ。映画鑑賞?相棒の劇場版を除いて、ここ最近全然観てない。ランニング?言えるものなら、言ってみたい。続かないから、困っているんだ。

 

読書?うーん、まぁ好きだし、最近でこそ人並みには読むほうだと思うけれど、趣味かと言われるとちょっと違う気がする。ほんとに読むのが楽しくて仕方なくて、時間を忘れるくらい読みふけってしまうというほどの本好きでは、決してない。「本を読む人間である」と他人に思われたいから、とか、「よく本を読んでいるだけあって、文章を書くのがうまいですね」と他人に言われたいから(本をたくさん読む=文章を書くのがうまい、とは一概には言えないでしょうけれど)、とか、そういった他人からの視線ありきの理由で読んでいる気がする。趣味でも娯楽でもなく、ましてや呼吸をするのと同じように自然にしてしまうものでもない。本に手が伸びる原動力は何かと冷静に考えると、義務感と焦燥感だ。

 

そうこう考えているうちに、もしかして「自分の趣味は何かを考えること」が趣味なのではないか、とまで思うようになってきた。趣味なんて、あれこれ考えて、これにしようと決断して、のめりこむようなものじゃないだろう。なければないで別にいいんだし、無理にこれだと決めることでもない。他人から「いいかげんやめなさいよ」と言われたってついやりたくなってしまうこと。明日までに完成させなければならない仕事があったとして、一夜漬けでつくらなければならいものがあるのに、仕事そっちのけでつい手を出してしまうようなもの。それが自分にとって無駄だと分かっていてもつい没頭してしまうこと。それが、趣味だ。

 

 

「没頭すること」「のめりこむこと」「熱狂すること」これらの重要性を説く人は多い。周りをみても、すごいと思う人は皆、なにかに熱中している。時間を忘れて、夜遅くなろうが関係なく、深く世界に入り込む。結局、仕事とプライベートを明確に分けるものはなく、仕事の外で熱中していることが仕事に生かされたり、もっと言うとそのまま仕事になったりするのだと思う。

 

たった一人の熱狂-仕事と人生に効く51の言葉-

たった一人の熱狂-仕事と人生に効く51の言葉-

 

  

すべての教育は「洗脳」である 21世紀の脱・学校論 (光文社新書)
 

 

 

大学時代、ほぼ毎日触っていたクラシックギターがまだ手元にある。社会人になってから、一時期距離を置いていたこともあったけれど、このところ意識して触るようになった。新しい曲にチャレンジしようという意気込みは、あまりない。もっと高度なテクニックを覚えてレパートリーをどんどん増やしたいという欲望も、ない。一通り弾けるなじみのある曲を、もっと丁寧に、もっと美しく弾きたいと思い、同じフレーズを何度も弾いたりしている。

 

いわゆる「弾き語り」には、あまり興味がない。フォークギターをジャカジャカ弾きながら歌うということを、できるようになりたいという気持ちがない(できる人を見るのは好きだし、かっこいいと思うけれど)。これは、大学時代に軽音楽部ではなくギターアンサンブルを選んだ自分の性格が影響しているのだろう。コードを押さえてストローク、よりも、アルペジオの方ができるようになりたい。SUGIZOパートよりINORANパートが好き、と言ったような。この価値観、昔から変わらないなぁ。

 

 

趣味は、クラシックギターを弾くこと。いまは「SHINE」を世界一上手に弾けるように練習しながら、「FOREVER&EVER」に挑戦しようと企んでいる。Aメロから、難しすぎる。毎日イントロばかり弾いて、満足してしまっている。

 

LUNA SEA GUITAR SOLO INSTRUMENTS 2

LUNA SEA GUITAR SOLO INSTRUMENTS 2

 

 

人とコミュニティ

昨日。竣工済コーポラティブハウスの管理組合総会に出席してきた。総会の後、子供たちと一緒に遊ぶ入居者を見て、入居者同士のコミュニティが築年数とともに熟成されているように感じた。なんでも休日はこうして遊び相手を買って出てくれているそう。子供たちの笑顔の原因のほんの一端でも自分が担っているのだと思うと、気が引き締まる。

 

 

今日。自宅隣で大家さんが定期的に開催している手作り市に立ち寄った。絶品のコーヒー屋さんと話をして、ブレンドを買って、ホールを見てまわった。休日はほとんどやっていなくて入れない幻(?)のカフェの桜蒸しパンを買って、家でコーヒーを飲みながら食べた。こういうささいな瞬間に、手作り市っていいなぁと思う。

 

自分のちょっとした目標ができた。自宅アパートの中庭でも、こうした面白いことができないだろうか。立派なカリンの木がそびえる居心地の良い中庭で、何かできたら面白そう。新しいコミュニティ、人と人とのつながりを生み出せるかもしれない。それを大家さんに持ち掛けてはどうだろう・・・

 

 

午後はまた別の竣工済みコーポラティブハウス。海外転勤される入居者の壮行会におじゃました。世帯数はやや多いが団結力、仲の良さはぴかいち。入居者手づくりのピザを食べながら、親睦を深めた。

 

こうしたコミュニティをより深めていって、より住まいが快適になるために、外からの立場で自分は何ができるのか。何を求められているのか。それを考えるキッカケになった。大切に住んでくれているからこそ、生半可なことはできない。そう思った。

 

abemaTV

自宅からテレビを排除して、もう何年もたつ。今日までに、「あぁ、テレビがあればよかったな」とか「捨てなきゃよかったな」と思うことがほとんどないから、結果オーライだと思っている。小さい部屋でも広く使えるというメリットもある。テレビがなければおのずと、ソファがあってコーヒーテーブルがあって、といういわゆる「リビング」空間が必要なくなる。よって自宅にはリビングがない。いたって普通の1Kだけれど、部屋には本棚と机、ダイニングテーブル、あとはベッド。かなりシンプルな部屋で毎日を過ごすことができていると思う。

 

そんな自分がテレビの代わりについ観てしまうのが、youtube。以前「オトナの!」という大好きな番組があって、それが終わってしまったのだけれど、ユースケ・サンタマリアいとうせいこうがオトナとは何かを引き出すトーク番組が、abemaTVでやっていると知り、youtube版を楽しんでいる。ゲストの話が強烈で面白いというのもあるのだけれど、なんといってもユースケさんとせいこうさんの話の引き出し方のうまいこと。勉強になる。

 

TVがここまで進化したか、とびっくりする。「abemaTV」の「アベマ」を「アメーバ」と誤読していた自分が恥ずかしい。スマホを持っていたら手軽に外出先でもテレビが観られる。すごいなぁ。自分もアプリをダウンロードしてしまった。たぶん「オトナに!」しか観ないのに。

 

これがきっかけでフラワーカンパニーズの「深夜高速」を聴いて、心臓を撃ち抜かれた。「感情七号線」のMVを観て自分も何か行動しなきゃ!と胸が高鳴った。「4人が新曲を楽しみにできる状況がいい」次はこうしよう、こういう曲つくらない?とワクワクしながら楽しんでいる彼らのように、自分もワクワクしながら企画をつくるようでありたい。

 

大宮エリーさんの電通時代の話を聞いて他人事と思えず、力不足で前職をリタイヤした自分と重なった。「自分がいなくても組織は機能する」そう気づけることで、どんだけ心が楽になるだろう。それに気づけるだけでも、過労死は、なくならないにせよ、少なくなると思う。逃げ場所はあるし、逃げればいい。

 


結成28周年のフラワーカンパニーズ"人生のつまずき"を語る|脚本家 大宮エリーが親友フラカンを連れて登場!せいこう×ユースケ オトナに!前編|AbemaSPECIAL2【AbemaTV】

春分の日

三連休最終日は春分の日。今日を境にコートはいらないなぁと思うくらいのあたたかさで、走るのにはちょうどよい天気。毎日とはいかないまでも定期的に走ることを目標としていたのだが、なかなか身体が動かず気づけば3月。今年初めてのランは寝起きのぼーっとした気持ちのまま、準備運動もそこそこに。そりゃぁ、長く走れるわけがない。

 

読書の、後でその内容を覚えているかどうかよりも、勉強になったかどうかよりも、読んでいる時間そのものが快適であればそれで良いと思うのと同じように、走ることも、体力がついたとか習慣になったとかそういう結果よりも、走っている時間そのものが心地よくハイの状態を味わえればそれで良いのだと思えるようになってきた。そして楽しむためには、頑張りすぎて苦しくなった記憶が残ってはよくない。だから無理せず、少しづつ・・・なんて言いながら、毎週取り組めていないナマケモノの自分を正当化する。

 

江戸川の河川敷。テントを張ってバーベキューを楽しむ人たちがいた。草むらに腰かけてアコギを弾く若者がいた。自分を後ろからすっと追い抜かすランナーがいた。外を歩くのも、外にいるのも、楽しい時期がこうしてやってくる。ようやく冬が終わる。

 

単行本と文庫本と

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昨日、至福の時間を過ごした古民家カフェには、これまた素敵な本棚があった。側板がゆるやかなカーブを描く曲線になっていて、和室になじんでいる。誰の部屋にでも、どこの本屋でも置けるようなものではないと思う。この空間だからこそ似合うんじゃないかと思うような、唯一無二感がそこにはあった。

 

そして並んでいる本のセレクトも、良い。詩集だったり、ギャラリーの事例集だったり、エッセイだったり。古民家でゆっくりと時間を過ごすお供に、ぴったり。思わず「これ借りていいですか?次回来た時に返しますから」と本気で言いたくなったくらいだ。

 

そのなかに、松浦弥太郎さんのエッセイを見つけた。自分の好きな方の本がこうしてセレクトの中にあるのを見ると、自分が好きだと思っている作家さんを同じように好きだと思っている他者が、しかも身近に(いま目の前に)いるのだと分かり、無性に嬉しくなる。しかも「初エッセイ集」とある。エムカンを運営されているときの、本当に初期のエッセイ集じゃないか。これは、本当に恥を忍んで「貸してください」と言うっきゃないか?と思いながら、ページをパラパラとめくっていたら、自分も持っていることに、ようやく気付いた。本業失格。単行本で装丁も違うから、分からなかった。自分がもっている文庫本とは、妙に印象が異なる。

 

本はできるだけ単行本ではなく文庫で買いたい、と常々思っていた。文庫か新書。そのほうが持ち運びやすいし、読みやすい。単行本はかさばるし、ハードカバーだったりすると持っていて重い。なかの文章に興味があって買うんだから、新刊に飛びつくとき以外は、文庫化したものを買いたい。そう思っていた。

 

しかし、こうして文庫との表紙のイメージの違いを見てしまうと、単行本で読みたい本もあるのだ、と思える。好きなミュージシャンの曲は、ダウンロードして聴くだけじゃなくて、CDで買って、ジャケットや歌詞カードのデザインまでひっくるめて味わいたい、と思うのと一緒だ。ハードとしての本のデザインをひっくるめて、本なんだなぁということを、実感した。

 

本業失格

本業失格

 

  

本業失格 (集英社文庫)

本業失格 (集英社文庫)

 

 

たねまめランチ

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相模原にある古民家カフェ「たねまめ」に行ってきた。壁面本棚をつくってくれたnikomさんとの出会いがきっかけで知ったこの古民家カフェでは、月替わりの手作りランチを食べることができる。人数限定のこのランチ、いつも予約でいっぱいになるのだとか。その理由が、今日ランチを食べて分かった。美味しすぎる。

 

平屋の木造住宅を改装して、といっても雰囲気はそのままにしながら、和室を広げてちゃぶ台を置いて、座ってご飯を食べる。梅や杉、そしてサルスベリと、たくさんの木々が並ぶ庭を眺めながら、ものすごいゆったりとした時間が流れる昼間を、のんびりと過ごした。久しぶりに会った家具屋さんとの会話も弾む。

 

蔵書票をつくってくれた「久奈屋」さんが10周年を前にいままでを振り返る個展があった。ていねいにつくられた手作りの紙文具は、見ているだけでも心が落ち着く。さまざまな言葉をモチーフにしてちりばめた小説を、じっくり読む。言葉の選び方が丁寧で、頭に不思議な雰囲気の世界が広がるイメージ。この独特の雰囲気が、久奈屋さんを的確にあらわしていると感じた。

 

後半はDJ HaYaKaWaが加わり、レコード鑑賞タイムへ。こうしてDJ演奏を生で聴いたのは、初めてではないか?その選曲のセンス、幅の広さに驚いた。レコードなので、当然リアルタイムで聴いていない昔の曲がすべてなのだけれど、普段例えばテレビで流れているのを聴いても特に何も思わない曲でも、こうして意識して聴くと、いい曲だなぁと気づく。これも、場の力なのか。

 

人が集まる場所。クリエイターが自らを発表し、それを受け取る場所。特に何も考えずに自分だけの時間を過ごす場所。自分にとってのそんな場所はここだ、と言えるとは、なんて贅沢。定期的に行きたいと思える場所がまたできた。ちょっと遠いけれど。

 

tanemame.bitter.jp

 

www.hisanaya.net

 

オレンジ色の

特別お題「おもいでのケータイ」

 

ケータイに奇抜さを、といったらちょっと語弊があるけれど、どこか人と違うものが良いと昔から思っていた。白とか黒とか、そういうポピュラーな色の、シンプルなケータイに魅力をあまり感じなかった。だから、オレンジ色の、かなり厚みのある、流線型のケータイ(以下、DRAPE君)を手にしていた時は、おれは他人とは一味違いますよ、という優越感に近い感情を持っていた。いまとなっては、過去の恥ずかしい感情の一つにすぎないけれど。

 

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真ん中のオレンジのやつ

 

当時、私は車をもっていて、それもまた、いま思い出すと天邪鬼の自分の性格を表しているのだけれど、オレンジ色のbBに乗っていた。どんだけオレンジが好きなんだって感じだ。でも、実際、好きな色なのだ。いまもそうだ。

 

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これ。いまみると、ほんとチャラい・・・

 

で当時、愛車の運転席に乗ると同時にDRAPE君をダッシュボード上に置いていた。運転しながら、ごついオレンジ色のDRAPE君が視界に映る。そして正面には、同じくオレンジ色の車体のボンネット。この色の見事な一致が、満足感をもたらせてくれた。今思い出すとまったくもって、意味不明だ。ダッシュボードは黒なんだから。

 

 

今日、仕事で久しぶりに車に乗り(車に乗せてもらい)、高速道路をびゅんびゅん走った。首都高を走ったのなんて何年ぶりだろう。ふと、数年前を思い出す。あの頃は車で移動することも多く、高速道路の経路がなかなか覚えられずに苦労した。上司を乗せて、道を間違えたらどうしようとドキドキしながら、また沈黙にどうやって耐えようかとハラハラしながら、運転したことも何度あっただろう。いま思うと、車の運転という一定の緊張を伴う行動を少しでも楽にしてくれる大事な役割を、DRAPE君は担ってくれていたのかもしれない。

 

sponsored by KDDI

 

自分の夢は何か

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自分の夢は何か。何を成し遂げたいのか。そのことを、子供のころから考えるチャンスがたくさんあったはずなのに未だに人に胸を張って言うことができないこのことを、真面目に考えるキッカケになった。


 

彼女とは、大家さん主催の手作り市で出会った。コーヒーに対する情熱と、地元で実店舗を持つことに対する情熱が誰よりも高く、身近でおいしいコーヒーを飲めるところが少ないと思っていた自分にとって、彼女は救世主のような人だった。そしてその彼女の夢が、実現に向けて急ピッチで進んでいる。

 

そんな彼女と話をしていると、グングンとその熱の渦に引き込まれるというか、もぐりこむというか、そういう感じだった。どんどん身体から湧き出してくる想いのようなものが、夢の実現への最適ルートへと誘導しているんだと思った。といって、想いだけで突っ走っているのかというと決してそうではなく、冷静に自分が勉強すべきことを知っていて、自分を磨こうとしている。いままでの自分の無知、無頓着を、恥じた。

 

 

それが何の世界でもいいから、ナンバーワンでもオンリーワンでもどっちでもいいから、一番であるべきだ。敵のいない、突出した何かを持つべきだ。そういままでは思っていた。競合がいっぱいいる世界でいくら頑張ったって意味ないぞ。他にいくらでも代替要員がいるような役割を買って出たって無駄だぞ。そう思っていた。大好きな昔の洋画「ポリスアカデミー」で言えば、心優しき怪力大男、モーゼスハイタワー。ひときわ目立つ、高い塔のように突き抜けた存在。それが理想だと思っていた。だけど、いまはちょっとその理想のニュアンスが変わりつつある。

 

高い塔を目指すのではなく、低くても、太く、がっちりと根をおろして、そこにずっとい続けるような、と言ったら良いのだろうか。タワーマンションより低層マンション、といったら例えがちょっとずれる気がするけれど、それに近い。人より背が高いかは、あんまり気にしない。負けたって正直あまり悔しくないです。面白い実績を残している仕事人を見ると、すごいなぁとはもちろん思うけれど、そうなりたいと思うかというとそうではなく、「はいはい、すごいすごい。自分には無理でーす」て冷めてしまう。高い塔を目指すのではなく、低くてもずっとそこで価値を提供し続ける低木のような。そんなイメージが理想だと、頭に浮かんだ。職場の近く、新しくできたビルの前に立つ幹の太くゴツゴツしたオリーブをみて、まぁ例えるならこんな感じだ、と思った。

 

 

彼女からエネルギーをもらったあと、ちょっと仕事があって事務所に行ったら、スタッフが全員、いた。土曜日なのに。明日も仕事で朝早いのに。そうだ。夢がどうこう、将来の目指す方向がどうこう、と考えるのももちろん大事なのだけれど、それよりもいま目の前の仕事を、周りのスタッフがそうであるように、全力でやんなきゃマズい。いまはそれを全力でやって、クライアントにありがとうと言ってもらうことが、夢だ。

 

時代小説を読む

先週、振替休日を一日もらい、平日の昼間から自宅でのんびりとしていた。世間が動いている平日に動かないというのも、どうも罪悪感をぬぐいきれない。別に悪いことをしているわけではないのに。

 

駅前のいつもの本屋で。少し前から気になっていたものの、なかなか手に取る勇気がなく、目をそらしていた本があった。正確には、本の「集まり」があった。店の本棚3列ぐらいを占拠するたくさんの文庫。そのすべてが、同じ作者の小説だった。NHKで多作の作家さんだと紹介されていたのをわずかに覚えていたけれど、その程度。時代小説なんて、一生かかっても読まない分野なんだろうな、と敬遠していたのに、徐々に、読んでみたいと思うようになった。

 

平日の昼間に仕事をせず自宅近くにいるという、いつもとちょっと違う気分に真新しさを感じ、その気分に乗って、今日から何かを始めるのも良いなぁと思った。何かのきっかけがなかったら、どうせ最初の一歩を踏み出すことすらできないんだ。今日がその一歩を踏み出す日なんだ、と勝手に解釈し、いままで背表紙しか見ていなかった本の集まりから、一冊を丁寧に選び、買った。時代小説を読み始めるとは、おれもオトナになったなぁ、なんて思いながら。

 

佐伯泰英さん。1999年に時代小説に転向し、たくさんの本を出している。ホームページを見て、その生み出すペースのはやさに、びっくりした。1か月に1冊のペースで毎月書いたって1年で12冊なのに、16冊とか出している年もある。これじゃぁ、読み終わるまでに何年、何十年かかるというのだ。でも、その先の見えない果てしない感じが、なんだかワクワクする源なのだとも思う。

 

ただでさえ人一倍読むのが遅い自分。先は長い。買ってから1週間たつ今日までで、まだ序章しか読んでない。でも、目標ができた。佐伯さんの時代小説で本棚を埋めるとともに、昔の、スケールの大きい考え方や思想のようなものを、少しでも自分のものにできたら、良い。

 

光圀: 古着屋総兵衛 初傳 (新潮文庫)

光圀: 古着屋総兵衛 初傳 (新潮文庫)

 

 

仕事はうかつに始めるな

自分はどちらかというと朝型人間だと思っている。朝早く起きることは、特に寒いこの時期はつらくはあるけれど、まぁできなくはない。逆に夜遅くまで集中力をもって仕事をするということができない。21時を過ぎると、もう緊張の糸が切れて、帰りたくなってしまう。夜になっても集中力を持続させているように見えるまわりのスタッフとは、雲泥の差だ。自分は夜遅くまで仕事を頑張るという点においてはおよそ10年超の社会人レベルに達していないけれど、その分早く起きて人より早く仕事に着手します。そう自分に言い聞かせながら、毎日眠い目を無理やりこすって起きて、家を出る。

 

その日、早く事務所へ行って始業前にやっつけたいことがあったのに、思うように起きられず、目標の時間をだいぶ過ぎて家を出ることとなった。焦り気味で電車に乗り、いつもの駅で乗り換える。と、その乗り換えのホームでアナウンスが流れた。「電車をお待ちのお客様にお知らせいたします」嫌な予感がした。


そのアナウンスは、すぐ近くの駅で発煙が発見され、安全確認のため止まっています、と伝えた。発煙が何を意味するのかはよく分からないけれど、まぁそのうち安全が確認されて電車も動くだろう、と思って止まっている電車の席に着く。しかしなかなか動かず、ついにアナウンスは「発煙の影響で全線で運転を見合わせます。振り替え輸送を実施いたします」とまで言い出した。


安全が確認できない以上動けないのは当たり前で、それはもちろん我々を思ってくれての対処なのだけれど、こういうときに気分が晴れる人はいないだろう。すぐさま別経路を探し出し、乗り換えたけれど、会社に着いたのは始業時間ぎりぎりだった。もちろん、余裕を持った仕事なんてできるはずがない。

 

もうちょっと早く起きていれば、こんなストレスなんてなくさっさと事務所についてさっさと仕事ができるのに。と、早く起きる根性のない自分を悔いる。夜に弱くて、朝も弱いのだとしたら、どうするのだ。

 

 

「仕事はうかつに始めるな」を読んだ。仕事がうまくいかないとき、集中力が足りないと思うとき、ああダメだなぁなんて思いながら、それでもその解決のための具体的な方法を探ることを怠っていた。自分の根性が足りないせいだと思いこみ、論理的な解決方法を見つけるということから目を背けていた。そうじゃなくて、ちゃんと集中できない理由を理解して、集中するためにはどうしたらよいかを、ちゃんと考えようよ。そう思えた。 

 

 集中力=意思力 と定義してしまうと、集中力のない人への処方箋は、「もっと意思を強くすること」という精神論や根性論になってしまうのです。それでは、本質的な解決にはなりません。(P17)

 

できなかったときに意思の弱さを理由にしない。どうしたらできるのかを考える。根性論ではなく方法論で問題にアプローチする。(P148)

 

まずは自分に集中力がないことを自覚すること。集中力がそんなに続かないと認めること。そのうえで、集中力を発揮できる短い時間を濃密にすることに注力すること。このことを、しっかり考えたい。朝早く起きられないのも、べつに根性がないからじゃない。起きるための方法を、見出さなければ意味がない。

 

  

イノベーション

午前中、仕事で中目黒へ。洗練された街というイメージが強い、私にとって刺激臭のある街だ。ただでさえ人の多い日曜日、自分なんかがゆっくり過ごせるはずがないんだ、と思いながらも、新しくできた蔦屋書店に立ち寄った。中目黒へ来たらココへ、と思っているエスプレッソ専門店に行ったらシャッターが閉まっていたので、仕方なくだった。蔦屋書店と地続きになっているスターバックスはきっと満席で、座れないだろう。でも行ってみることに価値があるのだと思って入ってみたら、午前中の比較的早い時間だったからか、座ることができた。

 

ドリップコーヒーを待っているわずかな間、蔦屋書店で本を見ていたら、松浦弥太郎さんの特設コーナーがあって、驚いた。中目黒に縁のある方とは思っていたけれど、ここでこうして繋がるとは。初めて目にする文庫を迷わず手に取ってすぐレジに行ったのは、もうすぐドリップコーヒーを渡されるからと焦ったのもあるが、それ以上に、この繋がりに一期一会を感じたからだ。

 

本好きによる本の紹介。ここに紹介されている本のほとんどを知らない私は、まだまだ彼に近づけないじゃないか、と困惑しつつも、自分は自分なりの本のセレクト眼をもって、本を大切にしていきたいと思う。

 

ぼくのいい本こういう本 (朝日文庫)

ぼくのいい本こういう本 (朝日文庫)

 

 

本屋とコーヒー屋。それぞれは別に新しいことでも何でもない。しかしそれが組み合わさったときに、新しい価値が生まれる。イノベーション(=革新)とは、まったくのゼロから新しい価値をつくることではなく(それはインベンション(=発明)と言うのだとか)、既存のものを組み合わせて新しい価値をつくることだ、と聞いたことがある。まさにそれだと思った。蔦屋書店とスターバックスがくっついてできる価値。そこで買った本を読みながらコーヒーを飲むのはもちろん、買わずとも、つい棚にある本を手に取ってそのままコーヒー買って飲みながら読みたくなる。

 

 

仕事終わりの夕方、いつもの美容院でマスターとおしゃべりをする。ここ最近は読んでいる本の紹介し合いで盛り上がる。自己啓発本なんて読まない、そんなものになんか頼らずに我が道を行くんだ、なんて言いそうなマスターだけれど、意外と自己啓発本を好んで読むのだとか。ちょっと読ませてもらったものが、とても面白かった。1人で夢を叶えるには時間がかかるけれど、4人で協力し合えば最短で夢を叶えることができる。言われればその通りだと思っても、その重要性にいままで目を向けていなかった。自分で本屋に行く限り手に取らないであろう本にも出合えるのが、人紹介の面白いところ。

 

実践! 世界一ふざけた夢の叶え方

実践! 世界一ふざけた夢の叶え方

 

 

祈りの幕が下りる時 (講談社文庫)

祈りの幕が下りる時 (講談社文庫)

 

  

午前0時の忘れもの (集英社文庫)

午前0時の忘れもの (集英社文庫)

 

  

小説好き、自己啓発本好き、そして密かに壮大な夢を持っているマスターに、午前中の蔦屋書店の話を自慢げにしたら、本を買わなくともコーヒー飲みながら読めるはずだよと言われ、たじろいだ。えっそうなの?商品はさすがにダメでしょ。と思っていた自分はどんだけ田舎者だ?蔦屋書店とスターバックスの融合が生み出すイノベーションは、私の想像の遥か上にあった。

 

他人の言葉

こういうとき、プロだったらどう考えて、どう行動に移すのだろうか。例えば尊敬する松浦弥太郎さんだったらどうするだろう。まぁ、もっと身近でいいや。例えば事務所の自分以外のスタッフがこの場にいたとして、どう解決していくだろう。そうやって、他人だったら・・・と考えることが多い。こうした考え方の参考になりうる「他人」にたくさん触れて、解決方法のバリエーションを増やすことが、自分にとっての読書の目的の一つなんだと思う。

 

クライアントに任されている立場として信頼されていないとしたら、これほど恥ずかしいことはない。価値を与えられていないんだとしたら、お金いらないんで降りさせてください、とつい言いたくなってしまう。

 

ドシッとかまえていることを誇示したくて。ヘラヘラしていると思われたくなくて。クライアントと接している自分が不愛想に映ってはいなかったか。というか、結果、不愛想になってはいなかったか。うわべだけの真似かもしれないけれど、本で読んだことの受け売りかもしれないけれど、いまの自分の仕事の品質が低いなぁと凹むとき、他人の言葉は参考になる。「うららかな笑顔」「いさぎよく謝る」ちゃんと言葉で教えてくれているじゃないか。

 

今日もていねいに。 (PHP文庫)

今日もていねいに。 (PHP文庫)

 

 

 

あるキング

 

あるキング: 完全版 (新潮文庫)

あるキング: 完全版 (新潮文庫)

 

 

昨日のあれだけの憂鬱も、時間が解決してくれる。時間さえ経てば、「もっと凹んで、もっと反省したほうがいいんじゃないのか?」と思うくらい、なんでもなくなる。そんなもんだ。問題がまるでなくなった、というわけでは決してなく、まだまだ課題はあるけれど、こうして目の前の問題をちょっとづつやっつけながら、一歩一歩進んでいくしかないのだろう。「目の前の危機を救えない人間がね、明日世界を救えるはずがないんですよ」伊坂幸太郎さんの「砂漠」にでてくる西嶋の言葉が脳をよぎる。ちょっとオーバーだけど、そんな気持ちだ。

 

だから仕事のあと、ちょっと気持ちが緩んだ自分を認めてあげよう、日曜日、寝るまでのひとりの夜を有意義に過ごそうと、いつもの本屋へ寄り、今日は本を買って、目の前のパスタ屋のドアを、今日は堂々と、開けた。昨日、そのドアを開ける勇気がなかったことがうそのようだ。笑顔がめちゃ素敵な店員さんの目は、今日もめちゃ細い。「閉店時間、一時間早くなったんですね」「そうなんですぅ、働く方としても寂しいんですぅ」「なんで?」「だって、働ける時間が短くなっちゃうじゃないですか。まぁ早く帰れるのはいいんですけれど」真面目か、あなたは。

 

弱小球団「仙醍キングス」をめぐる話。ゆるやかに始まるストーリーがこのあとどう展開していくのか、楽しみ。雑誌版、単行本版、文庫版と、同じ話を3つの違う書き方でまとめた、というのも面白い。

 

本編を読み始める前に、挟まっていたデビュー15周年記念特別掌編「書店にまつわる小噺あるいは、教訓の得られない例話」を読んだ。ものすごく短い話の中に伊坂幸太郎さんらしいマジックが凝縮されていて、思わず声をあげた。すごすぎる。

 

落ち込んでいる姿は他人に見られたくない

今日という日が 明日という日が絶望ばかりの毎日でも

こぼれそうなあの笑顔を探している

GLAY/MIRROR)

 

 

仕事がなかなかうまくいかず、まぁそれはいつものことなのだけれど、落ち込むことがある。そういうときは、無理に気を紛らわせようとか、考えすぎないようにしようとか、ポジティブな方に考えるのではなく、気分が向かうままに落ち込もうと決めている。どんなに凹んでも、時間が経てば回復するということが体感的に分かっているから。

 

そういう気分の時。いままでは、よく行く居心地の良い店でご飯を食べたりコーヒーでも飲んだりするのが良いと思っていた。顔なじみの店員さんの笑顔に会えた日には、まぁ自分の悩みなんて小さい小さい、と思えたものだ。しかし最近、この気持ちが変わりつつある。落ちている日に、好きなお店に入って一人の時間を過ごすことを、本当に自分は望んでいるのか?

 

そんなことはない。好きで入っているはずの店の空気が、自分の気持ちが感染してどんよりするのは嫌だし。不愛想な顔を店員さんに見られて「感じ悪いな」と思われたら嫌だし。そんなことで、好きな店が行きたくない店になってしまうのは嫌だし。

 

だから今日も、行きつけのパスタ屋のドアを開ける気にはなれなくて、向かいの本屋で、何を買うでもなく本棚を眺めて歩いていた。2往復もしたらさすがに「今日はこれを買おう」という本がないことにだって気づく。それでもしばらく店を出ずに本の背表紙を目で追っていたのは、この言葉で表現しづらい燻ぶった気持ちを、少しづつ落ち着かせたかったからなのかもしれない。そんな姿を、顔なじみの人に見られるなんてありえない。この程度のことで沈むほどペーペーじゃないだろう、お前は。