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イノベーション

午前中、仕事で中目黒へ。洗練された街というイメージが強い、私にとって刺激臭のある街だ。ただでさえ人の多い日曜日、自分なんかがゆっくり過ごせるはずがないんだ、と思いながらも、新しくできた蔦屋書店に立ち寄った。中目黒へ来たらココへ、と思っているエスプレッソ専門店に行ったらシャッターが閉まっていたので、仕方なくだった。蔦屋書店と地続きになっているスターバックスはきっと満席で、座れないだろう。でも行ってみることに価値があるのだと思って入ってみたら、午前中の比較的早い時間だったからか、座ることができた。

 

ドリップコーヒーを待っているわずかな間、蔦屋書店で本を見ていたら、松浦弥太郎さんの特設コーナーがあって、驚いた。中目黒に縁のある方とは思っていたけれど、ここでこうして繋がるとは。初めて目にする文庫を迷わず手に取ってすぐレジに行ったのは、もうすぐドリップコーヒーを渡されるからと焦ったのもあるが、それ以上に、この繋がりに一期一会を感じたからだ。

 

本好きによる本の紹介。ここに紹介されている本のほとんどを知らない私は、まだまだ彼に近づけないじゃないか、と困惑しつつも、自分は自分なりの本のセレクト眼をもって、本を大切にしていきたいと思う。

 

ぼくのいい本こういう本 (朝日文庫)

ぼくのいい本こういう本 (朝日文庫)

 

 

本屋とコーヒー屋。それぞれは別に新しいことでも何でもない。しかしそれが組み合わさったときに、新しい価値が生まれる。イノベーション(=革新)とは、まったくのゼロから新しい価値をつくることではなく(それはインベンション(=発明)と言うのだとか)、既存のものを組み合わせて新しい価値をつくることだ、と聞いたことがある。まさにそれだと思った。蔦屋書店とスターバックスがくっついてできる価値。そこで買った本を読みながらコーヒーを飲むのはもちろん、買わずとも、つい棚にある本を手に取ってそのままコーヒー買って飲みながら読みたくなる。

 

 

仕事終わりの夕方、いつもの美容院でマスターとおしゃべりをする。ここ最近は読んでいる本の紹介し合いで盛り上がる。自己啓発本なんて読まない、そんなものになんか頼らずに我が道を行くんだ、なんて言いそうなマスターだけれど、意外と自己啓発本を好んで読むのだとか。ちょっと読ませてもらったものが、とても面白かった。1人で夢を叶えるには時間がかかるけれど、4人で協力し合えば最短で夢を叶えることができる。言われればその通りだと思っても、その重要性にいままで目を向けていなかった。自分で本屋に行く限り手に取らないであろう本にも出合えるのが、人紹介の面白いところ。

 

実践! 世界一ふざけた夢の叶え方

実践! 世界一ふざけた夢の叶え方

 

 

祈りの幕が下りる時 (講談社文庫)

祈りの幕が下りる時 (講談社文庫)

 

  

午前0時の忘れもの (集英社文庫)

午前0時の忘れもの (集英社文庫)

 

  

小説好き、自己啓発本好き、そして密かに壮大な夢を持っているマスターに、午前中の蔦屋書店の話を自慢げにしたら、本を買わなくともコーヒー飲みながら読めるはずだよと言われ、たじろいだ。えっそうなの?商品はさすがにダメでしょ。と思っていた自分はどんだけ田舎者だ?蔦屋書店とスターバックスの融合が生み出すイノベーションは、私の想像の遥か上にあった。

 

他人の言葉

こういうとき、プロだったらどう考えて、どう行動に移すのだろうか。例えば尊敬する松浦弥太郎さんだったらどうするだろう。まぁ、もっと身近でいいや。例えば事務所の自分以外のスタッフがこの場にいたとして、どう解決していくだろう。そうやって、他人だったら・・・と考えることが多い。こうした考え方の参考になりうる「他人」にたくさん触れて、解決方法のバリエーションを増やすことが、自分にとっての読書の目的の一つなんだと思う。

 

クライアントに任されている立場として信頼されていないとしたら、これほど恥ずかしいことはない。価値を与えられていないんだとしたら、お金いらないんで降りさせてください、とつい言いたくなってしまう。

 

ドシッとかまえていることを誇示したくて。ヘラヘラしていると思われたくなくて。クライアントと接している自分が不愛想に映ってはいなかったか。というか、結果、不愛想になってはいなかったか。うわべだけの真似かもしれないけれど、本で読んだことの受け売りかもしれないけれど、いまの自分の仕事の品質が低いなぁと凹むとき、他人の言葉は参考になる。「うららかな笑顔」「いさぎよく謝る」ちゃんと言葉で教えてくれているじゃないか。

 

今日もていねいに。 (PHP文庫)

今日もていねいに。 (PHP文庫)

 

 

 

あるキング

 

あるキング: 完全版 (新潮文庫)

あるキング: 完全版 (新潮文庫)

 

 

昨日のあれだけの憂鬱も、時間が解決してくれる。時間さえ経てば、「もっと凹んで、もっと反省したほうがいいんじゃないのか?」と思うくらい、なんでもなくなる。そんなもんだ。問題がまるでなくなった、というわけでは決してなく、まだまだ課題はあるけれど、こうして目の前の問題をちょっとづつやっつけながら、一歩一歩進んでいくしかないのだろう。「目の前の危機を救えない人間がね、明日世界を救えるはずがないんですよ」伊坂幸太郎さんの「砂漠」にでてくる西嶋の言葉が脳をよぎる。ちょっとオーバーだけど、そんな気持ちだ。

 

だから仕事のあと、ちょっと気持ちが緩んだ自分を認めてあげよう、日曜日、寝るまでのひとりの夜を有意義に過ごそうと、いつもの本屋へ寄り、今日は本を買って、目の前のパスタ屋のドアを、今日は堂々と、開けた。昨日、そのドアを開ける勇気がなかったことがうそのようだ。笑顔がめちゃ素敵な店員さんの目は、今日もめちゃ細い。「閉店時間、一時間早くなったんですね」「そうなんですぅ、働く方としても寂しいんですぅ」「なんで?」「だって、働ける時間が短くなっちゃうじゃないですか。まぁ早く帰れるのはいいんですけれど」真面目か、あなたは。

 

弱小球団「仙醍キングス」をめぐる話。ゆるやかに始まるストーリーがこのあとどう展開していくのか、楽しみ。雑誌版、単行本版、文庫版と、同じ話を3つの違う書き方でまとめた、というのも面白い。

 

本編を読み始める前に、挟まっていたデビュー15周年記念特別掌編「書店にまつわる小噺あるいは、教訓の得られない例話」を読んだ。ものすごく短い話の中に伊坂幸太郎さんらしいマジックが凝縮されていて、思わず声をあげた。すごすぎる。

 

落ち込んでいる姿は他人に見られたくない

今日という日が 明日という日が絶望ばかりの毎日でも

こぼれそうなあの笑顔を探している

GLAY/MIRROR)

 

 

仕事がなかなかうまくいかず、まぁそれはいつものことなのだけれど、落ち込むことがある。そういうときは、無理に気を紛らわせようとか、考えすぎないようにしようとか、ポジティブな方に考えるのではなく、気分が向かうままに落ち込もうと決めている。どんなに凹んでも、時間が経てば回復するということが体感的に分かっているから。

 

そういう気分の時。いままでは、よく行く居心地の良い店でご飯を食べたりコーヒーでも飲んだりするのが良いと思っていた。顔なじみの店員さんの笑顔に会えた日には、まぁ自分の悩みなんて小さい小さい、と思えたものだ。しかし最近、この気持ちが変わりつつある。落ちている日に、好きなお店に入って一人の時間を過ごすことを、本当に自分は望んでいるのか?

 

そんなことはない。好きで入っているはずの店の空気が、自分の気持ちが感染してどんよりするのは嫌だし。不愛想な顔を店員さんに見られて「感じ悪いな」と思われたら嫌だし。そんなことで、好きな店が行きたくない店になってしまうのは嫌だし。

 

だから今日も、行きつけのパスタ屋のドアを開ける気にはなれなくて、向かいの本屋で、何を買うでもなく本棚を眺めて歩いていた。2往復もしたらさすがに「今日はこれを買おう」という本がないことにだって気づく。それでもしばらく店を出ずに本の背表紙を目で追っていたのは、この言葉で表現しづらい燻ぶった気持ちを、少しづつ落ち着かせたかったからなのかもしれない。そんな姿を、顔なじみの人に見られるなんてありえない。この程度のことで沈むほどペーペーじゃないだろう、お前は。

銅版画

二日連続で御茶ノ水駅に来た。今日は少し早めに家を出て、あまり寄り道せず、一直線で目的地へ。それでも午前中は寝て過ごしてしまい、いつものように休日の過ごし方を誤った、と家を出てから後悔した。天気が良かったので、なおさらだ。

 

ギャラリーに入ったら、作家さんご本人に普通に会えた。画家であるとか、そういった方に対しては昔から「気難しい人なんじゃないか?」とか「無口で不愛想な人なんじゃないか?」とかそういった偏見を持っていたけれど、そんな印象とは全く逆の、そして威圧感もない、気さくな感じの方で、拍子抜けした。自分よりよっぽど社交的だと思った。

 

好きでよく行くダイニングで知って、来ました。銅版画とかそういう美術には疎くて、正直こういう個展には来たことがなかったけれど、刺激になるかと思って。そんな話をしたら、ものすごく喜んでくださった。まるで近所のおじさんと近所話をしているかのような、気楽な感じだったので、安心した。

 

銅版画の、とにかく緻密で手間のかかる作業に、驚いた。その手間が、完成品を眺める限りはあまり感じ取れないけれど、線も細かくて、それをつくっている姿を想像すると、気が遠くなる。完成品は、白と黒の二色がメインで、だからカラフルな絵と違って色の情報なしに、その画像を集中して見ることができる気がする。そのモノクロの絵の中がどんな世界なのか、想像をふくらませるのが、楽しい。

 

こうして人との縁がきっかけで次の縁につながる、というのを、大事にしたいなぁと思う。ただでさえ地域の付き合いも少ない自分。考えてみれば、友人と呼べる人も少ない。最近、友達が増えたと実感することが、ない。「友達は、少なくてよい」とか「友達なんていらない」とかそういった言葉も聞くけれど、それに近い感じだ。不要とまでは言わないけれど、友達をたくさんつくりたい、という気持ちはまるでない。だから、いま現在のつながりと、そこから枝分かれして今後生まれるつながりを、絶やさずに育てたいと思う。

 

三枝敏彦彫刻展 2017.2.7〜2.12

 

http://www.garigari.jp/

御茶ノ水とLEMON

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よく行くダイニングのマスターにすすめられたことがきっかけで、ある作家さんの銅版画展に行こうと思い、仕事終わりに御茶ノ水に駆け込んだ。案内のポストカードを見ると午後6時30分までとある。御茶ノ水駅についたら午後6時。ぎりぎり、セーフだと思った。

 

地図を見ながらギャラリーへたどり着くも、入口にカラーコーンが立ちふさがっていて中に入れない。立て看板もカバーを被っている。なぜだ?と不思議に思いながら手元のポストカードを確かめる。「祝・最終日は午後5時まで」。うん、明日が最終日だから、今日は最終日ではない。ゆえに今日は午後6時30分までだ。それなのになぜだ。「祝・最終日」。うん、今日は最終日ではない。それに土曜日だし、祝日でもな・・・おっ!!!とここで、今年は土曜日と祝日が重なることが多い不幸な年なんだ、というニュースを思い出し、そして今日がその不幸な日のひとつ、建国記念の日であることに気づいた。御茶ノ水に来る前に気づけよ。「土曜日=祝日ではない」なんて短絡的に考えて今日が祝日かどうかも頭に入っていないことが、問題だ。

 

目当ての銅版画展は明日また来れば良いとして、それでも、今日ここまで来たことを無駄にはしたくない。ということで、銅版画展のあとにぎりぎり閉店前に駆け込もうと思っていた画材屋に、早めにたどり着いた。ゆっくりできたから、結果オーライだ。

 

「レモン画翠」その美しい名前に惚れて、また建築の学生たるものここで道具を揃えてエスキスに模型製作に励むべきだ、と教えられた覚えがあり、学生の時に訪れた。御茶ノ水のイメージは、楽器屋の街とか、学生の街とか、お茶の水女子大とか、東京医科歯科大とか、いろいろあるけれど、自分にとっての御茶ノ水との出会いは、やはりレモン画翠だった。店内の鉛筆や絵の具、スケッチブックの紙などの匂いが、好きなのだ。

 

エスキスに必死だった学生時代を思い出し、そしていま自分は社会人として設計事務所で仕事をしているにも関わらず、学生当時のエスキス帳と向き合っていた頃の気持ちを忘れてしまっていたことに気づき、急にエスキスがなつかしくなった。目の前にあったクロッキー帳に思わず手が伸びたのは、当時、自分のセンスのなさにげんなりしながらも、自分の頭の中で思うように建築をつくりだした快感を、また自分の頭の中によみがえらせたいと思ったからかもしれない。

 

12年くらいぶりに手にしたクロッキー帳が、今日御茶ノ水に来たことが失敗ではなかったのだと、言ってくれているように思えた。御茶ノ水はレモンのように酸っぱく刺激が強いが、同時にレモンのようにきれいで、清潔で、優しい。

ひょんなキッカケで

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ひょんなキッカケで 君とここにいる

THE YELLOW MONKEY/ゴージャス)

 

 

ひょんなきっかけで出会った紙文具屋さんがいる。オリジナル蔵書票というものを見て、自分だけの、世界に一つだけの蔵書票がつくれてしまうというのを知って、のめりこんだ。この出会いをもたらしてくれた家具屋さん、その家具屋さんとの出会いをもたらしてくれた大家さんに、感謝しています。

 

www.hisanaya.net

 

その紙文具屋さんが10周年を迎える前に、辿ってきた9年を振り返る個展を開催しているということで、東林間へ行ってきた。蔵書票制作のやりとりはメールだったため、直接会うのは初めてだ。どんな方なのだろう。まるで顔を知らずにやりとりしていた女性と初デートに行くような、そんな感じだった。

 

natsumehiro.com

 

初めて会った紙文具屋さんは、メールや手紙でやりとりしていた時に抱いていた印象そのままの、的確な言葉が見つからなくて歯がゆいのだけれど、きれいで、純粋そうで、落ち着いていて、にこやかで、もの静かな感じの方だった。この方に蔵書票をつくってもらってよかった、と一瞬で思った。

 

ポストカードや栞、一筆箋など、手作りのあたたかさをまとった紙文具が、小さな部屋のなかでその存在感をアピールしている。第一印象が刺激的で、最初は面白く使えるんだけれど、時間が経つと飽きてしまうというものが少なからずあるモノ過剰社会のなかで、これらの紙文具は、仮に10年前の自分が出会ったとしても、10年後まで持ち続けていたとしても、好みのアンテナが受信しているのではないかと思う。褪せない、というのはこういうものをいうんじゃないか、というものにピンポイントで出会ったと思った。

 

 

東林間でハイカラ雑貨屋を営んでいる彼女の知人が、そのお店のすぐ近くの貸室をラボラトリエ(ラボラトリーとアトリエの造語らしい)にしてオープンしたのが昨年12月。そのラボラトリエを活用した最初の個展が今日だったらしい。今後、定期的に個展などイベントを開催していく機会をつくるとのこと。こういう、手作り紙文具に限らず、表現の場づくり、情報発信の場づくりを積極的に行うような取り組みを見ると、おおすごいなぁ、といつも思う。

 

natsumehiro.com

心をつかうということ


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仕事終わりに立ち寄ったいつもの本屋で松浦弥太郎さんの新刊を見つけて、迷わず手に取った。コミカルな絵が表紙を飾る、ちょっといままでの印象とは異なることに気をひかれたけれど、それ以上に、著者紹介欄に「クックパッド㈱を経て、2017年より新たな挑戦を始める」とあって、どひゃぁ、となった。

 

本を売る仕事を個人でずっとされていた方が、老舗雑誌「暮しの手帖」の編集長として働くというだけでも新天地だろうし、その方が新たな挑戦としてクックパッドの一社員となったと知ったときは、環境の変化を恐れない、強い方だなぁと思った。「くらしのきほん」は、やさしい言葉でおおわれた文章を毎日更新するというもので、その地道な作業の中に、くらしをちょっと豊かにする工夫をみんなと共有したい、という強い意思を感じていた。そんな彼が、また新たな環境に身をおいて、新しい挑戦をするのだという。楽しみで仕方ない。

 

頭をつかって導く答えには、その可動域に制限がある。だけど、心をつかってたどり着く答えには、限界がない。頭で考えたら無理だとわかることでも、可能にしてしまうことだってできる。頭すら使わない(いまの自分がそう・・・)のは論外だけれど、頭を使って得た答えに頼るんじゃなくて、心をつかって、じっくり考えようと思う。

 

「いままでと同じプロセスで考えていたら、新しい価値はつくれない。いままでと同じ事業手法では、これからは成り立たない。なにかいままでやったことのない、新しいことをやらなければ意味がない」自分はこの考えに、がんじがらめになりすぎていたのかもしれない。いままでと同じことをやったのではダメ、という考えは、ハズレではないと思う。だけど、いままでにないということだけに気を取られていないか。ようやく見つけた新しいことが、ユーザーが求めていることと本当に一致するだろうか。「新しい事業手法を見つけた!これは面白い!」と自分が面白がっているだけで、ユーザーが本当に必要としていることを無視してはいないか?そこまで考えたとき、ただやみくもに新しいことを追求するのは自己満足にすぎない、と思った。

 

人がよく知っていることのなかに、新しいものを見つける。このときに心をつかって、一歩踏み込んで考える。相手は何を欲しがっているだろうか。どういうサービスがあったら、時間やお金を費やそうと思うだろうか。この、心をつかって考えるということを、習慣にしたい。

 

いままで自分が心をつかっていなかったという恐ろしい事実に気づけた一冊です。

 

「自分らしさ」はいらない くらしと仕事、成功のレッスン

「自分らしさ」はいらない くらしと仕事、成功のレッスン

 

 

誠実であること

仕事がうまくいかないなぁと思うとき。クライアントから指摘を受けて「ギクッ」とするとき。協力会社の担当者となかなか話が通じ合わず、イライラするとき。正直、いますぐ自分のすべきことを投げ出してしまいたいと思うこともある。これができないならクビだ、と言われるのだとしたら、どうぞご自由に、クビにしてください、なんて自棄になることもある。でもそうはいっても逃げることはできない。こういうとき、じゃぁどう考えて立ち向かったらよいのだろう・・・と、凹んだ心を少しづつ落ち着かせながら、考える。

 

ほんの少し、道しるべになってくれる言葉がある。それが「誠実」という言葉だ。とにかく、この言葉を意識して、まぁぱっと見カッコ悪くて、とてもスマートに見えない方法であったとしても、こうすることで、悪い状況を抜け出せるのではないかと思っている。

 

「正直・親切・素直」この言葉を大切にして、日々を丁寧に暮らしてらっしゃる松浦弥太郎さんのように。

 

一見、おちゃらけていて、遊んでいそうで、それでいてちょっと抜けたところがあるのに、正義のこととなると真剣な目つきになり、警察組織に真っ向から立ち向かう、そして他人を優しく思いやる心をもっている、「相棒」の亀山薫のように。

 

毎日、職人さんに丁寧にお手紙(指示書)を書いて作業内容を指示し、社内でケータイ通話量ダントツ一位だと笑われるくらい、細かくマメに電話で指示し、やるべきことをひとつひとつ忘れないように机の目立つところに貼って、ひとつひとつ丁寧に仕事をする、社会人一年目のときの現場所長のように。

 

目指すべきは、「誠実」であることだ。

 

やっぱり「誠実な人」がうまくいく 丁寧に生きるためのヒント

やっぱり「誠実な人」がうまくいく 丁寧に生きるためのヒント

 

 

空の青と本当の気持ち

ボーナスを、さて何に使って自分をアゲようかといろいろ考えながら、最終的にたどり着いたのが、CDの大人買いというものだった。以前持っていたが手放してしまったもの。TSUTAYAレンタルで聴いて済ませてしまっていたもの。これらを、この機会にまとめて、ドーンと買う。自分の大好きな二大ロックバンドを中心に、過去のものを片っ端から。こんな使い方、二度とできない気がする。

 

好きなミュージシャンの曲は、CDで直接買って、CDプレイヤーで、ジャケットや歌詞カードを見ながら聴きたい。ダウンロードなんて邪道だ。・・・といま言ったところで、本当か、自分?と思う。ただそう言ってカッコつけたいだけなんじゃないのか?CDを買うことでそのミュージシャンにリスペクトを表明することができるから、なんて誰かが言っていたことをその通りだと思って、マネしてるだけじゃないのか?と自分の中の悪魔が言う。だけど、そう思うんだからしょうがない。CDが一番音質のよい媒体だという神話がなくなったとしても、歌詞カードの中に挟まっている解説文やくどい宣伝紙にちょっとイラっとしても、歌詞カードを固定するためのほんのわずかな突起が逆に邪魔をして歌詞カードがなかなかケースから取り外せず爪で歌詞カードをひっかいてあたふたしても、それでもまだ、CDをCDプレイヤーで聴きたい。それがミュージシャンに対するリスペクトの表明だと、本気で思っているから。

 

THE YELLOW MONKEYのライブDVDもはいっている。さっきまでこれを観ていた。去年は本当にSUPERな年だったのだと改めて感じた。

 

空の青と本当の気持ちを 君に見てほしくて

THE YELLOW MONKEY/空の青と本当の気持ち)

 

自分の気持ちを伝えることが大事だということ、自分の気持ちを知ってほしいと常に自分が思っているのだということが、よく分かる。自分だけじゃなくてよかった。

 

  

昼間、仕事。進行中プロジェクトの上棟式。きびしい工期のなかで、頑張って上棟までこぎつけた工務店さんをねぎらう。まじめで、誠実な工務店の社長さんを見ていると、自分はそんな楽観主義でもないのだけれど、まぁなんとかなるんじゃないかと思う。無事故無災害で、安全に、完成することを願っている。空が青かった晴れの今日。これが自分の本当の気持ち。

 

このプロジェクトの中で、自分は誇りをもって仕事ができているであろうか。SUPERな自分でいられているだろうか。普通の野良犬からちょっとSUPERな野良犬に戻ったTHE YELLOW MONKEYに胸を張って「おれだってSUPERな野良犬だろ」と言えるだろうか。そう言えるように、仕事をしたい。

 

限られたモノだけに囲まれたい

「これについてはここで買う」というのを決めておくと良い、と知り、実践している。統一感のないモノであふれる心配がないし、なにより、どこでどれを買おうかと迷うことがなくなる。これは結構心の負担を減らすのに役立つ。

 

夕方、少し事務所に行く用があったので、そのついでに買おうと思いたった。仕事ノートと、ポストカードだ。

 

ノートは、罫線があるものでなく、無地のものが最近のお気に入り。「カタカナ」でツバメノートを買うと決めている。ノートのほかにも気になる雑貨がたくさんあり、つい目的のもの以外のものにも目移りしてしまう。

 

katakana-net.com

 

ポストカードを使う用があり、手頃なものがないかと思ったときに立ち寄るのが、「リュリュ リュシェット」だ。小さな店内にいろんな種類のポストカードが並ぶ。そんなに頻繁に行くところではないけれど、たまにふらっと入ると、その品ぞろえに圧倒される。さてどんなポストカードを贈ってやろうか、と考えながら選ぶのが、楽しい。

 

www.ryu-ryu.com

 

 

仕事場の近くにこうした洗練されたお店があるとは、頼もしい。限られたモノだけに囲まれたい、と思うものの、こうした素敵なお店の誘惑に負けて、ついモノが増えてしまうのだ。

 

明日は心でできている

小山薫堂著「明日は心でできている」を読んだ。毎日を面白いものに変える彼なりのしかけがたくさん見られて、ためになる。そういう考え方があるのか、そうやって考えるだけで、いままでと違った風景が見えるのか、と驚かされることが多い。

 

明日は心でできている (PHP文庫)

明日は心でできている (PHP文庫)

 

 

とくにいいなぁと思ったのが、「神様にフェイントをかける」というもの。自分を見ている神様がいるとして、その神様が「えっ」と驚くようなことをふいにやってみる、というもの。毎日歩いている道と違う道を歩いてみるとか、通勤電車でいつもと違う車両に乗ってみるとか。別に神様を驚かしたところで何があるわけでもないだろうけれど、そうやって、客観的に見て意表をつかれるようなことをすることで、なにか新しいものに出会えるのではないか、と思う。

 

 

事務所の近くにおいしいハンバーグ屋がある。最高においしいし、店員さんも愛想が良くて大好きだから、できることなら毎日だって食べに行きたいくらいだ。でも、平日昼間に行くことがほとんどで、休日や、夜に行くことはいままでになかった。

 

金曜の夜。気持ち早めに事務所を出られたので、少し心に余裕があり、また一週間おつかれさま、という自分への気持ちがあり、初めて夜のハンバーグ屋に入ってみた。結果、いつもの店員さんがいつものように満面の笑みで出迎えてくれて、いつもどおりの、心地よい時間を過ごすことができた。メニューもランチとはちょっと違うという発見もあったりして。

 

 

土曜日。仕事で現場に行った帰り。気持ち早めに着いたので、少し心に余裕があり、ふと、突然ケーキが食べたくなり、衝動に駆られるように、自宅近くのよく行くケーキ屋に立ち寄った。最近出会ったおいしいコーヒーを家で飲む、そのお供にちょうどよさそうなガトーショコラが目的だ。

 

あまり認めたくないが、私は甘党。常日頃から、特別な日でもなんでもなくても、食べたいと思った時にケーキを買って、ひとりで食べる。ケーキを買って食べるということは、自分にとってかなり日常的なものだ。ただこれには別の理由もある。例えば人から「オススメのケーキはなんですか」と聞かれたら、胸を張って「ここのケーキは最高ですよ」と言えるようでありたい。友達が自宅に遊びに来るようなことがあれば、あらかじめ用意しておいて「このケーキ食べてみて、最高だから」とおもてなしできるようでありたい。

 

しかし、それにしても。ケーキを選びながらも、思う。ここでケーキ買うの、今日で2週連続じゃないか。そんな頻繁にケーキを買うなんて、数年前の自分からしたらとんでもない行動だ。神様の前に、過去の自分自身がその意表をついた行動に驚くだろう。でもいまの自分は、驚かない。こんな日があったっていい。神様の手から自分の運命の主導権を取り戻したようで、痛快だ。

 

ぼくは明日、昨日のきみとデートする

昨日本屋で衝動買いした本を、あっという間に読み終える。このサラッと読む時間が楽しい。

 

 

なんだろう、この、こういう話にキュンとしちゃう自分はなんて青いんだろう、と思うんだけれど、仕方ない。こういう恋を大学時代にしたかった、と言ったら、負け犬の遠吠えにしか聞こえなさそうだ。

 

読み終わって(読んでいる途中も)、「うん?あれがこれで?あのときのあれはこういう真相で、彼がこうで彼女がこうで・・・」と頭の中で考えてもよく分からない混乱具合は、「君の名は。」に似ている。読み終わったあと、もう一度最初から読み返したくなる感じは、「イニシエーション・ラブ」のよう。

 

奇怪なストーリーもすごかったが、それよりも、彼と彼女との会話の端々に「おお、この気持ちが恋か」と思わせるものがあって、そういう、うまく言葉では表現できない気持ちが文章になっていたことが、嬉しかった。

 

  

イニシエーション・ラブ (文春文庫)

イニシエーション・ラブ (文春文庫)

 

 

写真と美意識

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スマホに替えたことがきっかけで、instagramが使えるようになった。いままでは正直のところあまり興味がなかったけれど、仕事では使っているし、撮った写真をUPしてシェアできて、保存するアルバムとしても使えるから、使い勝手は良いなぁと思っていた。先日、スマホをいじっていて、なにかの拍子にfacebookからつながってアカウントを産んでしまった。これもなにかの縁、ということで、少しづつ、使ってみる。「写真ベタ」を卒業したい。

 

仕事柄、美意識がないとダメだなぁと思うことが多く、それがほとんどない自分に不甲斐なさを感じることが多い。建築学科を卒業していながら、建築をほとんど知らない(こんなことを自分で言ったら、大学に行かせてくれた親に怒られそうだ)自分が、いま設計事務所にいるというんだから、笑ってしまう。素晴らしい建築作品を見てその素晴らしさを理解して、素晴らしい建築をつくる。それはいまの私には絶対に無理だけれど、きれいな写真を撮ることは、ちょっとの知識と、ちょっとのセンスと、きちんと撮ろうという気持ちがあれば、出来るのだろうと思う。いま、自分の手元には、その練習をするためのツールがある。これを使わなければ。

  

百花繚乱

ネットサーフィンをしていたら、GLAYの2年前(!)の曲「百花繚乱」についてのインタビューにたどり着いた。日本はヤバイぞ、いまのオトナはだらしないぞ、という怒りの気持ちがTAKUROにあって、その感情を吐き出した曲になっていて、当時はその振り切った感じが好きだった。賛否両論ある曲だと思うけれど、自分はあの振り切った感じこそがGLAYが意図してつくった曲なのだろうと思ったから、あまり違和感なく聴くことができたと思う。

 


GLAY「百花繚乱」ミュージックビデオ(1コーラスver)

 

もし自分がTAKUROに会うようなことがあったとしたら。「君はオトナだね」「立派なオトコだ」と言われるだろうか。自分にとっての理想のオトナのひとりであるTAKUROが、それをよしとするかどうか。それが、自分が成長しているかを自分で測る基準になっている。こういうとき、TAKUROだったらどう考えるだろう。こういうとき、TAKUROだったらどっちへ行く決断をするだろう。と。

 

初めて、というのがちょっとびっくりなのだけれど、ソロ名義でアルバムを出している。インストアルバムで、ジャズ要素をふんだんに取り入れているとのことで、GLAYTAKUROとは違う彼の音楽を聴けるに違いない。せっかく音質重視のスマホを買ったんだ、この機会に音楽を手軽にダウンロードして聴くという行為をこれまで以上に楽しもう。

 


「Guess who」MV(short ver.)